第一節 殺生戒第一
(二)原文:時に仏、浄飯王のために種々説法し終え給う。王は法を聞き終え、進み出て仏足を礼し、仏を右繞して去りぬ。仏はこの因縁をもって諸比丘に告げたまわく、我今まさに諸優婆塞のために犯戒の軽重と、悔い可きと悔い難きとを説かんと欲す。諸比丘共に曰く、唯然。願わくは聞かんことを楽しまん。
釈:仏が浄飯王に種々の説法をなさり、浄飯王が法要を聞き終えた後、進み出て仏足を頂礼し、仏を右繞して去りました。仏はこの因縁を諸比丘に告げ、今まさに諸優婆塞のために犯戒の軽重、および犯戒後の悔い可きと悔い難きの区別を説かんとされました。諸比丘は一斉に申しました:素晴らしきかな、我ら皆聞き奉りたい。
原文:仏、諸比丘に告げたまわく、殺生を犯すに三種の人命を奪うあり。一には自作、二には教人、三には遣使なり。自作とは、自ら行って他命を奪う。教人とは、他人を教えて『この人を捉え、縛して命を奪え』と言う。遣使とは、他人に『汝某甲を知るや、この人を捉え縛して命を奪え』と言う。この使いが言葉に随って彼の命を奪う時、優婆塞は悔い難き罪を犯す。
釈:仏は諸比丘に告げられました:殺生戒を犯す者には三種の殺人方法があります。第一は自ら殺すこと、第二は人を教唆して殺させること、第三は使いを遣わして殺させることです。自ら殺すとは、優婆塞自らが他者の生命を奪うこと。教人殺とは他人に『その人を捕らえ、縛って殺せ』と言葉で教えること。遣使殺とは(往々にして部下など従属する者に)『汝は某甲を知っているか。その者を捕らえ縛って殺せ』と命じることです。この使いが優婆塞の言葉に従って某甲を殺した時、優婆塞は悔い難き罪業を犯します。
ここでの要点は教唆殺と遣使殺の区別と因果関係にあります。教唆殺と遣使殺の違いは何か。教唆とは他人を唆して最終的に直接殺生を行う者を生じさせることで、教唆者と被教唆者は平等の関係にありながら、教唆者の罪はより重い。これに対し遣使殺は自らの使いを指揮して命じ通りに殺させることで、主たる殺生者は優婆塞自身であり、派遣された者は命令に従って任務を果たす従犯です。いずれの場合も主犯たる罪魁は優婆塞自身であるため、優婆塞は悔い難き殺生戒を犯します。この罪業は自ら殺すよりも更に重く、結果的に一人を殺すという点では同じでも、他人を唆して悪業を造作させ、その心と行いを汚染し、人と悪縁を結ばせ、悪業の種を蒔く点に由来します。
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