白骨観を最後まで観じると、白骨観の三昧を成就し、開眼閉眼時に自他の色身が全て白骨であることを見ることができます。これは定果色に属し、他人は見ることができず、この三昧定境を修出した人だけが見ることができます。このような定境は、意識の長期観想を通じて、意根を成功熏染し、意根は色身が白骨の様貌であると認め、如来蔵は白骨相を显现し、意識は隨時随处で白骨相を見ることができ、観想が成就されます。
したがって、一切の定境と三昧は、意識の観想を通じて、意根を成功熏染し改变した結果であり、つまり意根が成就すると、三昧定境が現れます。意識は各種理論を容易に認めますが、意根は無明深重、习性大であるため、認めにくく、これが修行の不易を造成します。各众生的意根の無明程度は異なり、习性も異なり、無明が薄ければ修行が速く、禅定が容易に現れ、三昧が容易に入り、法が容易に證されます。白骨観が成就する時、身見を断除し、身体为我を否認し、貪欲が降伏され、身を執らず、一分解脱を得ます。
日想観も同様であり、乃至一切の観行も同様であり、一切の定境と大智慧も同様です。
2
+1