衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年04月27日    日曜日     第1 回の開示 合計4376回の開示

旋見循元即意根円通の法門―意根訓練編

楞厳経第五巻原文:阿那律陀。即座より起ちて、仏足を頂礼し、仏に白して言う。我、初めて出家せし時、常に睡眠を楽しむ。如来、我を訶して畜生類と為す。我、仏の訶りを聞き、啼泣して自ら責め、七日眠らずして両目を失う。世尊、我に楽見照明の金剛三昧を示す。我、眼によらずして十方を見渡し、精真洞然として、掌中の果実を見るが如し。如来、我に阿羅漢の位を印可せり。仏、円通を問う。我が証する所に依れば、見を旋(めぐ)らして元に循(したが)う。これ第一と為す。

釈:阿那律は眼根より修行を起こし、その修行の心得は「見を旋らして元に循う」に在り。「旋」とは反転する意、眼根の見る働きを従来の外向きから反転して内向きとし、見の来歴を辿り、即ち根本処に至る。元来は身外・心外に色法を見ていたが、今は反転して能見の根本処を見る。根本処とは何処か。見の機能を起こす根源、眼根の見を導き決定するものは何か。一つは意根、二つは第八識、最も究竟なる処は第八識なり。

意根に至るは大阿羅漢、第八識に至るは大菩薩なり。世俗界の角度より見れば、意根には一切法を見る機能あり、内外の六塵界をも包含す。然るに無明により意根の見法機能は制限され、六識を用いて五根より見ざるを得ず。若し無明を除き意根の最大功用を回復せば、六識を以て五根より外に向かって法を見ることを用いず、意根単独にて法を見、五根を休め、六識を休むべし。

阿那律は世尊の教えたる楽見照明金剛三昧を修習し、意根を以て法を見る訓練を積み、眼根を用いず内に向かって見ることを得、遂に十方世界を見渡す能く、精真洞然として真実明晰、恰も己が掌中の果実を見るが如し。見を旋らして元に循うとは、竟(つい)には意根円通の法門なり。誰か意根の五塵境を見得ざると言わんや。大阿羅漢阿那律の意根は十方世界を見渡し、精真洞然として色声香味触法ことごとく見ずること無く、意根を以て三昧を証得し、意識を用いず。然らば意識を以て果を証すると称するは、天にも昇るべき戯言なり。

——生如法師の開示
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