なぜ禅定が深い人は、意念の力だけで病人の病気を治すことができるのか。それは直接、第八識と第八識が相互作用した結果なのか。意念力は主に意根の念力の作用であり、次に意識の念力の作用もある。意根の念力が強大であれば、心力も大きく、意志が固く、第八識はそれに協調し、意根の念力に従い、意根が思うこと、考えること、願うことを実現する。意根の念力を強大にするには、深い禅定が必要であり、意根の作意力を一点に集中させることで、作用力が強くなり、第八識がその心に随順して願いを実現させる。
もし念力が強大であれば、意念で人を殺すこともでき、それも人を殺す。意殺には念いを動かし業行があるため、身行と同じく殺生の罪業に属し、悪報がある。意念で人を救えば、人を生き返らせることもでき、念いを動かし業行があるため、これは善業に属し、善報がある。意念で他人を変えれば、人を変えることもでき、業報がある。したがって、心念力が非常に強大な人を故意に刺激してはならず、できる限り従うべきである。もし相手を怒らせれば、相手が念いを起こすだけで、目玉を動かす必要もなく、あなたは不運に見舞われ、自分でもなぜ不運になったかわからなくなる。意念力が非常に強大な人は、一をもって十万に匹敵し、一軍の力に相当し、相手の運勢を変えることができる。心念力が強大なのは、第一に福徳によるもの、第二に禅定力によるもの、第三に慧力によるものである。修行とは自分を主とし、仏菩薩を補助とし、自身の力を信じ、依存性を徐々に減らすことで、次第に強大になっていくのである。
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