衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年04月07日    月曜日     第1 回の開示 合計4360回の開示

四念処経における意根の訓練法(意根訓練篇)

世尊が説かれた四念処経の観行方法は、意根を訓練する方法である。まず呼吸を観る点から見ると、世尊は弟子たちにありのままを観るよう教えられた。眼前の呼吸がどのような状態であれ、そのままを観じ、意識の思考や想像を加えてはならない。意識の役割はただ意根を呼吸という事柄に引き寄せることであり、余計なことを考えたり念を起こしたりしてはならない。意識はいかにして意根を呼吸に引き寄せるのか。意識が注意力を呼吸に固定し、ただ呼吸を見守ればよい。言語文字や独白を用いず、この時意根は意識を指揮できず、他の縁に攀じることもできなくなり、意識の焦点に沿って呼吸を観じるしかなくなる。

呼吸を観じる中で、意識は呼吸の出入りや長短などの状態を了知し、いかなる加工も加えない。意根も次第に諸縁を捨て、意識と共に専心して呼吸を観じ、刻々と変化する呼吸の状態を了知する。次第に習慣となり、自動化されたかのように、歩く、止まる、座る、寝るといったすべての動作において呼吸を観じるようになる。習慣を養うことは極めて重要である。習慣が一旦身につけば、それは主導権を握り、時が経つにつれて因縁が熟せば、呼吸の真実、色身の空性と無我の真実を発見するだろう。他の法を観じる場合も同様で、意根という野馬を繋ぎ留め、その念を当処に定め、心が細やかになり髪の毛ほどの違いも見逃さぬ時、真実が明らかとなる。もし意根を繋ぎ留めなければ、意根は心猿意馬の如く注意力が散漫となり、智慧が生じず、真実を見出すことができず、生死の流れに随って転々とするだろう。

四念処のこの経典は極めて優れており、その修行方法は大乗・小乗を貫く。その実践方法とは、ひたすらに観じ、ありのままに観じ、余計な考えを起こさず、加工せず、意識が意根を引き寄せ、意根が意識の妄想を抑制し、相互に協力して五蘊無我を証得することである。この修行の門は一切法の観行と修証に通じ、後世の修行にも通ずる。後世再び仏法に遇う時も、自然とこのように観行し、修証は容易となる。四念処経で教えられる観行方法、すなわち意根を訓練する方法は、意根を導き、制御し、観行の習慣を身につけることである。その後は自然と水到渠成、あたかも無功用行の如く、任運自然に智慧が開けるに違いない。

——生如法師の開示
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