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生如法師
繁中
日語
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2025年04月07日 月曜日 第1開示
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四念処経における意根の修習法(意根修習編)
釈尊が説かれた四念処経の観行の方法は、すなわち意根を訓練する方法である。まず呼吸を観察する点から見ると、釈尊は弟子たちに「如実観」を求められた。眼前の呼吸がどのような状態であるか、そのままの状態を観よと。意識の思考や想像を加えてはならない。意識はただ意根を呼吸という事柄へと導く役目を担い、それ以外は関わらず、念を起こさず、必要もないことに手を出してはならない。では、意識はどのように意根を呼吸へと導くのか。意識が注意を呼吸に固定し、ただ呼吸を見つめればよい。言語や文字、独白を用いてはならない。この時、意根は意識を指揮できず、他の法(対象)にも縁取されなくなる。ただ意識の焦点に沿って呼吸を観察するしかないのである。 呼吸を観察する中で、意識は呼吸の出入りや長短などの状態を知覚するが、いかなる加工も加えない。意根も次第に諸縁を退け、意識と共に専心して呼吸を観察し、一瞬一瞬の呼吸の状態を知る。やがて習慣となり、自動化されたかのように、行住坐臥(歩く・留まる・坐る・臥す)のすべてにおいて呼吸を観察するようになる。習慣を養うということが極めて重要である。習慣が確立されれば、それは主導権を握る。歳月が流れ、因縁が熟する時、呼吸の真実、色身の空(くう)と無我の真実を発見するであろう。他の法を観る場合もすべてこのように観る。意根という野馬を繋ぎ止め、その念を今この場に置かせ、心が糸のように細やかになった時に真実を発見するのである。もし意根を繋ぎ止めなければ、意根は心が猿や馬のように落ち着かず、注意力は散漫となり、智慧は生じない。そうなれば真実を発見できず、生死の流れに従って流転を止めることはない。 四念処のこの経典は非常に優れている。その修行方法は大乗・小乗を通じ、その用功(修行に力を用いる)方法は「まじめに観る」「ありのままに観る」ことにある。他の考えを起こさず、加工を加えず、意識が意根を導き、意根が意識の妄想を抑制する。両者が共同で協力し、五蘊無我を証得するのである。この行門(修行の門)は一切の法の観行と修証に通じ、後世の修行にも通ずる。後世において再び仏法に遇う時も、自動的にこのように観行し、修証は容易となるであろう。四念処経で教えられている観行の方法、すなわち意根を訓練する方法は、意根を導き牽制し、観行の習慣を養うことである。その後は自然と水が渠(水路)に至るが如く、無功用行(はからいのない行い)に変じたかのように、任運自然(自然のままに任せる)となり、必ずや智慧を開くことができるであろう。
——生如法師の開示
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