ある人が頭の中である問題を考え続けていた時、突然自らの心の動きに気づき、驚きを覚え、まるで盗人になったような後ろめたさを感じ、慌てて首を振ってその想念を振り払い、「どうして私にこんな考えが浮かぶのだろう」と自問する。
この事例から、人は二つの心の働きを持つことが分かります。一つは自発的に生じ、密かに作用する意根の想念。もう一つは最初の想念に気づかず、突然気づいて驚く意識の想念です。これは二つの心の働きが一致せず、意識と意根の思想観念が完全に同一でなく、二つの心が常に相通じ協調する状態にないことを示しています。また意根の想念は常に生起し、意識の制御を受けない場合もあれば受ける場合もあることを示唆しています。意識が異常を感知して意根にフィードバックすると、意根は一時的にその想念を断ちますが、再び生起するか否かは意識の制御力と教化の効果にかかっています。
一般人の意識には定慧が不足しており、容易に意根の想念を察知できず、自らの考えにも気づかぬまま、知らず知らずその衝動に駆られ、うっかり行動や発言をして後悔するものです。もし意根に殺意が生じた時、意識がそれを察知して突然身震いし、恐怖と疑惑を感じるなら、これは意根に嗔心があり、意識が知らぬ間に作用していたことを示します。やがて二者が交流し相互に影響し合い、意根の想念が優勢になり意識が服従を決めると、共謀して殺人計画を策定実行するに至ります。
窃盗計画の策定と実行も同様で、意根が主導し意識が補佐します。貪・嗔・痴の煩悩に基づく悪業もこのように生じます。もし意識に貪・嗔・痴の煩悩が生じても意根が清浄なら、意識の想念は長続きせず消滅し、やがて忘れ去られます。これは意識が外界から受けた邪念であり、意根が本心を堅持すれば、意識の想念は浮雲の如く散り去ります。しかし意識が継続的に汚染環境に触れ、邪念が累積すれば、意根もやがて影響を受け、意識と共に貪・嗔・痴の煩悩に染まった業を造ることになります。故に人が置かれる環境は成長に大きく作用し、思想観念に重大な影響を及ぼします。善を選んで住まうことが善に従い悪を避ける道なのです。
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