衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年11月29日    金曜日     第1開示 合計4290開示

勝解心所法

法に対する勝解は、七つの識すべてに存在します。なぜなら、七つの識にはそれぞれ対応する法があり、もしいずれかの識が自らに対応する法を勝解できなければ、その識は対応する法を認識できず、後続の作用は生じないか、あるいは後続の作用がすべて混乱してしまい、衆生は正常に生活し、仕事し、修行することができず、何も語ることはできません。六識がそうであるように、第七識はなおさらです。作主識(第七識)が対応する法を勝解できないことは、天下が大混乱するのと同じであり、愚かな衆生でさえいることが難しく、細菌でさえ直面する状況を勝解できるのに、高度な衆生である人天の大衆において、主宰する第七識が塵境などの諸法を勝解できないのであれば、いかにして五陰身の運行を調節・制御できるでしょうか。闇雲に指揮を執る盲猫が死んだ鼠に偶然ぶつかるような、ぼんやりとした状態ではいけません。そのような五陰身は生存できません。

例えば、ある人が花を買おうとするこの件について、花市場に行き多くの花を見て選ぶ場合、眼識は見た花の色に対して勝解を持たなければならず、そうして初めて花の色合いが何であるかを知ります。意識もまた花に対して勝解を持たなければならず、そうして初めて花が鮮やかで新鮮かどうか、自分が買いたいものかどうかを知ります。意根(第七識)は花に対してさらに勝解を持たなければならず、六識が見て選んだ花の品種、色合い、価格などの状況を一層明確に把握する必要があります。そうして初めて買うか買わないかを決定できます。もし明確でないか、決断がつかない場合は、六識に選び比べさせ続け、完全に明確になり満足するまで続け、ようやく最終決定を下します。そうして花を買うという事柄は終了します。あらゆる法について同様であり、六識の了別の状況を、第七識である意根が必ず勝解できてこそ、すべての法の運行を推進でき、混乱せずに五陰身が正常に生活し働くことができるのです。


——生如法師の開示
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意根の慧こそ肝要

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