衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2024年10月22日    火曜日     第1開示 合計4272開示

六識の身口意の行いを主宰するのは誰か

六識が造り出す事象は、その後ろにある第七識である意根が主体となって決定するものであり、同時に意根の心の行いを表している。意識の表層的な行為や造作、身口意の行いの背後には、常に意根が主宰者として存在する。身口意の行いは意識の決定に従うこともあるが、そのためには意識の力が意根を上回り、説得力を持たねばならず、意根が意識の提案や導きに進んで従う必要がある。もし意根の力が強く、意識の提案に従うことを拒むならば、すべては完全に意根が主宰し決定する。例えば殺生を行う際に、殺しながら同時に衆生を憐れむ場合、これは意識の憐れみが依然として意根の殺生への習性に抗しきれず、結局は意根に従って殺業を造ってしまうことを示している。

意識は一時的に意根に抗しきれないが、意識がさらに強くなり、より深く法と因果を理解するに従って説得力が増し、意根を説得した後は、もはや殺業を造らなくなる。意識が意根を染めることに成功していない段階では、意根に従って殺業を造りながら、同時に心に憐れみを抱くことになる。意識自体の善心所法がまだ堅固かつ強固でない時は、意根を導くことができず、意根に抗しきれないため、善業を造りながら同時に貪欲・瞋恚・嫉妬に駆られ、利益のみを追求し、己の利益だけを考えて他者を利することを考えなくなる。意識の善心所法が十分に強固ではなく、完全に染め上げられていない段階では、四正勤が修められず、意根における未生の善は生じることができず、已生の悪は断つことができず、悪を断ち善を修めることができないのである。


——生如法師の開示
前へ前へ

薫意根とは何でしょうか

次へ 次へ

身口意の行いを管理する鍵は意根を調伏すること

ページトップへ戻る