衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年10月18日    金曜日     第1 回の開示 合計4270回の開示

業種と習気の関係

業種と習気の関係は、その理が非常に深奥であり、唯識の種智に属する。習気とは、長く慣れ親しんだ法が気候となり、習慣となったもので、この習慣が身口意を主宰する。業行を造作した後、種子に貯蔵されることで、業種が深化・加重され、今後さらに習気が重くなる。

習気もまた業種から生じる。永く続けば習となる以上、必ず業種が存在する。習気は意根によって現行化され、意根が六識の身口意行を主導し、造作後に業種として貯蔵され、来世に現行する。これを習気と呼ぶ。業種は意根が業を造る主導によって形成され、意根は完全に業種と相応する。意根がどのような性質であれば、業種もその性質を帯びる。業種がどのような性質であれば、意根はその性質の業行を現行する。無我の業種を残すにはどうすればよいか。無我の習気を形成するには如何に修行すべきか。来世で五陰世間を空と見なすためには、今世で如何に修行すべきか。

須菩提が母胎にいる時から世の空寂を知っていた、この習気の深さは如何ほどか。空を証得した修行の時間が無量劫を超え、この長き時において心が常に空であった故に、空の良き習気が無量劫にわたり継続した。須菩提の心の空なる習気は今世の意識の薫習とは全く関係なく、意識が現れていない時から意根が空であった。このような心の空は如何に軽安自在で解脱していることか。

理論上の空は、俗法に直面すれば空ではなくなり、死の時も空でなく、死後も空でなく、来世も空ではあり得ない。故に理論上で夢幻の如きものや真如法性に安住するのは自欺であり、何の役にも立たない。事に臨んでは元の通りに行動し、臨終も元の通りに死ぬだけで、生死の問題を解決できない。理論上の理解は、事に遇えば正体を現し、本性を曝け出す。故に役に立たないと言われる。意根が証得されれば業種が形成され、生生世世にわたって受用され、事に遇っても正体に戻らず、受生時も迷わない。もし住胎時も迷わず、出胎時も迷わず、成長過程も迷わなければ、それは恒時の解脱である。


——生如法師の開示
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