衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2024年10月16日    水曜日     第1 回の開示 合計4269回の開示

意根の本性とは

浄和の体験:ある日、私は椅子に座ってヘッドホンで大悲咒を聴いていました。聴いているうちに眠りに落ち、夢も見ませんでした。その時、目の前(実際は眼前ではありません。方向感覚がなかったのですが、当時はそのことに気づかず、まるで広大な宇宙の中にいるようでした)の暗闇に何か動きがあるように感じ、好奇心が湧き上がりました。原因を知りたいと思った瞬間、その動きは一点の明かりへと変化しました。

私(当時は「私」という概念がありませんでした)は明かりに向かい続け、明かりに触れた瞬間に意識が生じました。その動きが実はヘッドホンから流れる大悲咒の音声であったことを悟りました(この時突然気づきました:何かが身体から脳に入り、五感が機能し始めたのです)。その後、意識が生じる前の状態を振り返ると、まるで物心のつかない子供や小動物のようでした。何か動きがあるとすぐに引き寄せられ、少しも反省する能力がありませんでした。

評:睡眠時の眼前は実際の眼前ではなく、意根が相対する法です。この時、眼識や意識は完全に消滅していなくても極めて微弱で、前後の方向感覚がありません。意根は法を明確に知覚できず、ただ茫漠とした広がりを感じるのです。好奇心が湧き明かりに向かったのはまさに意根であり、これが意根が法を縁じようとする様です。しかし自らが法を縁じようとしていることには気づかず、自我への感知力が弱いため、大悲咒の音声を縁じても明確に弁別できず、ただ明かりのように感じるのです。大悲咒には加持力があるため、あたかも光明の如きのです。

意根が大悲咒の音声を縁じ始め、かすかに明かりを感じた瞬間、微弱な意識が現れ、意識がこれを大悲咒の音声と了別しました。意識が音声を了別した時、意根は既に明かり(音声)が脳に入るのを感じ、意識は瞬時に理解しました。この時五識が現れ、かなり清明になりました。清明になった後、意識は直前にあった過程を追想し、意根が子供のように定力がなく、現れる動きに従って好奇心で付いていく様を感じました。非常に純真で幼稚、かつ敏捷で、事あるごとに反応する性質です。もちろん意識の追想も、意根が先の出来事を理解しようと意識に追想を促し、意識出現前の事象を、意根が提供する情景素材に依って初めて、意識(つまり私たち)が直前の出来事を理解できるのです。

この記述はまさに意根の心態を正確に描写しています。純真で原始的、自制心がなく、意識の監督と制約を必要とし、意識の指導と先導を必要とする様です。この意根に対する如実なる描写を深く体得し、意根の特性を味わい、意根の体性を深く理解すべきです。

——生如法師の開示
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