衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年10月01日    火曜日     第1開示 合計4262開示

意根による識の警覚作用

問:ある時、墓地のそばで茵陳(カワラヨモギ)を摘んでいたところ、いつも背後の誰かがいるような気がしましたが、実際には周囲に人影はありませんでした。これは意根(マナス)の感覚でしょうか、それとも意識(識)の感覚でしょうか。実在するのか錯覚なのですか?

答:誰かがいるように感じるのは意識の感覚です。この感覚は意根が意識に伝えたもので、意識は背後に人がいるのを見てはいませんが、意根はそれを感知できます。意根はこの事態を処理できないため、意識に感覚を伝え、後で処理させます。この時点で意識が理解できなければ、処理はできません。もし意識が背後に幽霊がいるかもしれないと理解すれば、離れるか留まるかの判断を下します。度胸のある者は留まり、度胸のない者は離れます。ただしこの度胸とは意根の性質を指し、最終的に離れる決断を下すのも意根の決定です。

意根は意識が見えない人や事象、冥界の衆生を含む存在を認識できますが、意識はそれを知りません。意根が意識に知らせようとすると、意識は疑念や感覚を抱きます。もし意識に智慧があれば、合理的に分析・思惟・推論し、何が起きているかを理解できるようになります。

——生如法師の開示
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意根が鳴らす警鐘

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なぜ悪夢を見ている時に念仏を一声唱えると悪夢が消えるのでしょうか。

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