衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2024年09月27日    金曜日     第1 回の開示 合計4260回の開示

意根が恒常に審査思量するなら、なぜ睡眠が必要なのでしょうか?

睡眠は色身の精力を回復し、色身の疲労を解消するためのものであり、六識がより良く効果的に正常に運行するためにあります。末那識は色身を自己の所有物と見なし、六識を自己の所有物と見なし、五蘊十八界を全て自己の所有物と見做しています。また第八識(阿頼耶識)に依って刹那的に色身の状況を了知しています。六識の活動はエネルギーを消耗するため、エネルギーの消耗を減らすべく、末那識は六識の活動を停止させ、六塵に対する六識の了別を能動的に閉じ、六塵を知ろうとせず、ただ末那識自身の知のみに委ねます。このようにエネルギーが絶えず蓄積され、精力がある程度回復すると、末那識は覚醒を決断し、塵境に接触して五蘊の活動を継続します。

色身が疲弊すれば睡眠が必要となり、精力を回復するために、末那識は睡眠を決断して六識の活動を停止させます。末那識自ら六塵を閉じようとし、六塵を了知せず、これによって五識と意識は次第に滅していきます。故に末那識が睡眠を必要とするのではなく、色身が休息を必要とし、エネルギーを補充して精力を回復するのです。これは正に末那識の恒常に審らかに思量する働きの結果です。但し睡眠は末那識の恒常審察に影響を与えず、末那識は睡眠中も思量を継続でき、更に夢境を現起させ、夢境の中で思量することが可能です。

——生如法師の開示
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