五遍行心所法:作意・触・受・想・思。五別境心所法:欲・勝解・念・定・慧。想心所法は五遍行心所法に属し、あらゆる時処において作用する。識心が現れる限り、想心所法は運行する。なぜなら識心の主な機能は触れた法を識別し了知することであり、想とはまさにその了別了知、心に相を取る作用である。心に相を取った後に初めて択法が生じ、法を択んだ後に五別境心所法の運行が始まる。
五別境心所法の運行は、まず択んだ法に対する欲望・関心・希求・探究から始まる。法に対して一定の勝解を得た後に、法を念じる念心所法が現れる。先に法を了知しなければ後に法に対する勝解は生じず、法を勝解できなければ法を念じることはない。法を理解せず、法を希求しなければ、どうして心に留めて念じることができようか。心に留めて念じるということは、既に法を理解し、その法が重要で必要であると認識したことを示す。つまり想心所法があって初めて念心所法が生じるため、「想念」という言葉が存在し、先に想い後に念ずるのである。
この念心所法は七覚支中の念覚支に相当する。例えば四聖諦の法を学修する場合、四聖諦法を充分に理解し、四聖諦が生死流転における重要性を知り、相当程度の勝解を得て初めて念覚支が現れ、四聖諦への思考を心心念念と続け、日常の五蘊活動と照らし合わせることができる。四聖諦の理を充分に了別了知していなければ、四聖諦法を念じることは不可能である。
ここからわかるように、五遍行心所法の運行には前提条件がなく、時処を問わず識心とともに作用する。一方五別境心所法の現れには必ず前提条件が必要で、時処を問わず現れるものではなく、条件が具足した特定の時にのみ現れる。欲・勝解・念・定・慧の心所法はそれぞれ異なる条件を必要とし、五つの心所法は相互に後続の心所法出現の条件となり、前の心所法が後の心所法の有無を決定する。故に慧心所法は万人に備わるものではなく、全ての法に現れるものではない。定心所法も同様であり、念心所法も、勝解心所法も、欲心所法もすべて同様である。
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