衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年02月22日    金曜日     第5 回の開示 合計1284回の開示

黒匣子世界(五)

或る人が問うかもしれません:もし私が臨終に極楽往生するならば、極楽世界はどこにあるのでしょうか。それは真実の存在か、それとも幻影なのでしょうか。もちろん私たちが接触できる極楽世界も第八識如来蔵が幻化した影像に過ぎません。私たちは外側の相対的に真実な極楽世界に接触することはできず、外側の相対的に真実な極楽世界は阿弥陀仏と、阿弥陀仏及び極楽世界に縁あるすべての衆生の如来蔵が共同で変造し、共同で執持しているものなのです。

八識の中では、第八識のみが真に外側の所謂真実なる極楽世界の物質色法に接触でき、私たちの六識は接触することができず、ただ第八識が幻化した影像にしか接触できません。それではもし極楽世界に往生できるならば、どの極楽世界に行くのか、極楽世界が結局どこにあるのか、心の中で知るべきであり、第八識がどこで蓮華を変造しているかも理解できるでしょう。

実際、内側と外側に分かれた極楽世界はともに存在し、内側と外側に分かれた蓮華もともに存在しているのです。

もし私たちが往生できるなら、真に往き真に生まれたと言えるのでしょうか。往生の時、本当に外側に阿弥陀仏や菩薩方がお迎えに来られるのでしょうか。本当に外側に蓮華があって私たちがその上に座れるのでしょうか。いったい誰が真実の蓮華の上に座ることができるのでしょう。自分家のベッドや椅子でさえ、真にその上に座ることはできないのです。

私たちは外側の相対的に真実な極楽世界に真に住むことはできず、住むとしても自分自身の第八識が幻化した影像の中、黒匣子の中の極楽世界に住むことになります。一切の法は幻化されたもので、一法として真実はなく、第八識が黒匣子の中で蓮華と極楽世界を変造し、六識がもし縁することができるなら、この影像を縁とするのであって、実質的な極楽世界に接触することはありません。これは非常に重要な認識であり、よくよく実践的に観行すれば、我見を断じ、徐々に我執も断じ、解脱を得ることができるのです。

——生如法師の開示
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