菩薩は一切の相を離れるべきである。阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし。色に住して心を生ずるべからず。声・香・味・触・法に住して心を生ずるべからず。住すること無き心を生ずべし。若し心に住する有らば、則ち住に非ざるなり。是の故に仏は菩薩の心を説きたまう、色に住して布施すべからずと。須菩提よ、菩薩は一切の衆生を利益せんが為に、かくの如く布施すべし。
釈:仏は菩薩が一切の相を離れ、阿耨多羅三藐三菩提心を発し、色法に住して心を生ずべからず、香・味・触・法に住して心を生ずべからず、菩提心を発する時には住すること無き心を生起すべしと説きたまう。若し心に執着あれば、それは法に住するに非ず、真の住処にあらず。故に仏は菩薩の心は色法に住して布施すべからずと説きたまう。須菩提よ、菩薩は一切の衆生を利益せんが為に、この如く布施すべし。
何故菩薩は一切の相を離れて菩提心を発すべきか。菩提心を発するは自利利他の為、衆生と共に仏道を成就し、涅槃の彼岸に至り、寂静清凉を得て空寂の境界に住するにあり。而してこのような境界を証得するには、金剛心の実相を実証すると同時に、金剛心が顕現する一切法の空相をも証得せねばならない。既に一切の法相は空にして得る所無し。相に住して心を発し、相に住して修行し、相に住して布施するは、悉く仏道に背き、菩提を証得できず、世間と出世間の利益ともに得られない。故に菩薩が菩提心を発するに当たり、世間の種々得難き利益、例えば荘厳なる相貌を得んが為、富貴栄華を得んが為、天に生まれて福を享けんが為、神通を得んが為、長生不老を得んが為、衆生の崇拝を得んが為、他者に勝たんが為、転輪聖王とならんが為、天主とならんが為など、これらは全て色・声・香・味・触・法に住するもので、菩提の大願を実現できず、菩提大道を成就すること能わざるなり。
若し菩薩の発心がこれらの法相に住すれば、これらの所謂る住は法に住するに非ず、理に叶わぬ住処となり、結果は空幻にして得る所無く、住むも住み得ざるなり。故に菩薩が布施を行う時、色・声・香・味・触・法に住すべからず、法相に執着せず、回向を求めず、このような布施こそが波羅蜜となり、涅槃の彼岸に到る所以である。
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