原文:世尊。若し復た人有りて是の経を聞くことを得、信心清浄なるは、即ち実相を生ず。当に知るべし、是の人は第一希有の功徳を成就せりと。世尊。是の実相なる者は、即ち是れ相に非ず。是の故に如来は実相と説きたまう。
釈:須菩提が申し上げる:世尊、もし他の者がこの経典を聞いた後、極めて清浄な信心を生じ、何が真実の相であり、何が虚妄の仮の相であるかを弁別するに至ったならば、この人が第一希有の功徳を成就したことを知るべきです。世尊、このいわゆる実相もまた真実の相ではなく、虚妄の仮の相であります。故に如来は仮に実相と名付けて説かれるのです。
明らかなるは、このいわゆる実相とは、経典を聞いた者が信心清浄になった後に生じた智慧的認知であり、実証智慧であります。実相を証得した智慧は実相そのものではなく、実相そのものの智慧は生滅せず、増減なく、不変異であります。しかし実相を弁明する智慧には生滅増減がございます。故にこれは実相ではなく、本来からある真実の相ではなく、仮に実相と名付け、実相智慧と呼ぶべきものであり、実相を証得して生じた智慧であります。
本来より存在する実相は形も相もなく、いかなる世俗法的な相も、六塵境界の相もございません。常に無相をもって人に示されます。故にこれも非相であります。この非相なる金剛心をも、実相と名付けるのは、この名前をもって金剛心の真実性と不生不滅性を示し、衆生に弁識し伝誦せしめるためであります。
この金剛経を聞いた後、清浄な信心を起こし、この経典を浄信し、金剛心を浄信し、かつ金剛心を証得することができれば、まことに第一希有の功徳を成就したのであり、稀なる得難きことです。この人は善根が極めて深厚であります。実証した金剛心の相も破れ、実相智慧の相も破れたならば、仏法の修証に執着せず、我慢を生ぜず、一切の相を遣り除き、内心が空浄寂静となれば、速やかに涅槃の彼岸に到達するのであります。
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