衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年06月19日    水曜日     第1 回の開示 合計4197回の開示

なぜ二果の斯陀含は「我、斯陀含果を得たり」という念いを持ってはならないのでしょうか。

『金剛経』原文:須菩提。於意云何。斯陀含能作是念。我得斯陀含果不。須菩提言。不也。世尊。何以故。斯陀含名一往来。而実無往来。是名斯陀含。

直訳:仏が須菩提に問う。「この件をどう思うか。スロータン(一来果)の修行者は『私はスロータン果を証得した』という念いを起こし得るか」須菩提は答えた。「そのような念いを起こすことはできません。世尊。なぜならスロータンとは『天上と人間界を一度往来する者』と称されますが、実のところ往来という事実は存在しません。ただ仮にスロータンと名付けているだけだからです」

この段落は前文の初果(預流果)の趣旨と同じです。真に第二の聖果を証得した者は、五蘊からなる自我の心をさらに空じ、『私は第二の聖果を得た』という観念を持ちません。ましてや『私が第二の聖果を得た』と執着し、心に留めて忘れず、至る所で宣伝して人に知られないことを恐れるようなことはありません。もし人々が信じなければ、怒って人を無視するような深い執着は明らかに凡夫の情執であり、初果や二果とは無縁のものです。

第二の聖果を証得した者は、今世の命終後に欲界天に生まれ修行を続けます。欲界天の命が終わると再び人間界に戻り修行し、第四の聖果である阿羅漢を証得すれば命終して涅槃に入り、三界に再び生を受けて苦しむことはなく、三界の生死の苦から解脱します。これが第二の聖果スロータンにおける天上と人間界の一往来の意味です。実質的に往来があるでしょうか。往来は存在しません。往来という事象はすべて幻影であり実在せず、天上の五蘊も人間界の五蘊も幻化した実体のないものであり、真実の相ではありません。したがって第二の聖果スロータンも真にスロータンが存在するのではなく、スロータンの相も非相であり、ただ仮にスロータンと名付けているだけです。私たちは虚妄の名相に執着する必要はなく、徒らに心を費やすべきではありません。自我の相とスロータンの相を滅し、いかなる成就を得ても心を動かさず執念を生じさせてはなりません。そうでなければ生死輪廻の中に陥り、解脱を得ることができなくなります。

——生如法師の開示
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