金剛経第八章原文:すべての諸仏および諸仏の阿耨多羅三藐三菩提の法は、皆この経より出ず。いわゆる仏法なるものは、すなわち仏法にあらず。
直訳すると:すべての仏およびすべての仏が仏となる法は、金剛心より生じ出でたものである。したがって衆生が仏法と呼ぶ法もまた仏法にあらず(これを仏法と名づく)。まず諸仏は後から成った仏であり、五蘊身の三十二相は自身の無垢識より出生し変現したものである。平等性智・妙観察智・成所作智は自身の無垢識が変現したものであり、無垢識が刹那刹那に七大種子を用いて仏の五蘊七識を出生し執持するゆえに、諸仏は初めて現前に存在し得る。諸仏が仏となる法は、本来無く後に有る法であり、諸仏が三大無量劫に修行し積み重ねてまとめ出した経験の法である。これは因縁によって生じた法であって定まった法ではなく、また仏の無垢識が出生し執持するものである。
したがって衆生が称する仏法は、本来より有る法ではなく、真実の不生不滅の法ではない。ただ後になって仏法と名づけ、仮に仏法と称するに過ぎない。空無自性ではあるが、かといって全く仏法ではないわけでもない。なぜならこれらの法には畢竟として仏となる作用があり、現象界としての存在があるからであって、空無で見えない法ではないのである。
諸仏および諸仏が仏となる法である仏法の法相をことごとく破った後、金剛心と真如仏性を除いて、いったいどのような法が真実に存在し、変異せず破ることのできない法と言えようか。もはや存在しない。最も至高無上の法の法相さえ破ることができるなら、世の中に破れない法相など存在しない。そうなれば世の中はまことに虚ろで寂しく、衆生が追求し執着するに値しない。皆、心を休めておけ、止めておけ。妄りに造作を加える必要はない。いかに造作を加えようとも、すべては空幻であって何の役にも立たないからである。
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