『金剛経』全体の宗旨を貫くものは相を破ることに尽きる。相を破り、相を破り、相を破り尽くす——四相を破ることを起点として一切の法相を破る。この一切法相の範囲は広大無辺であり、衆生が触れ得るもの、見え得るもの、思惟し得るもの、想定し得るもの、論議し得るものは全て非相である。世俗界における三界の一切法一切相、我相・人相・衆生相・寿者相、声聞相・縁覚相・菩薩相、仏の三十二相と具足の身相、如来相・大身相、国土相・微塵相・世界相・一合相、衆生心相・菩薩の発菩提心相・菩薩の荘厳国土相・菩薩の度衆生相、諸仏の説法相・諸仏の得法相・諸仏の得菩提相・菩薩の六波羅蜜相、はては般若波羅蜜多相・仏法相・諸法実相相など、凡べての相は即ち非相であり、非非相であり、非法非非法である。
これら一切の相を破る根拠は何か。不生不滅の金剛心に依る。この金剛不壊の心があるが故に、生じ出る一切法相は全て非相となり、より円融に言えば非非相となる。故に金剛般若心は一相無相の大総持法門とも称され、一切の相を保持し、一切の法を摂取し、一切法をして自性無く自相無からしめ、一切法を非法非非法ならしめ、世間を空寂・空虚・空幻たらしめるのである。
金剛経が相を破る過程と結果は、観音菩薩の耳根円通法門と呼応し、空じ得る一切を空じ尽くして、如何なる手段を以てしても空じ得ぬ金剛般若心のみを彼岸——非彼岸・非非彼岸——に残す。孤寂にして伴無きも、これ即ち一真法界である。
金剛経はまた一切の般若経典・大乗経典と共鳴し合い、相互に照応し合って些かの矛盾も無い。空の外に空あり、空の極みは非空・非非空である。世人はこれを理解し得ようか、契会し得ようか。もし契会するならば、心中に尚お相を留め、何かを執着するであろうか。無論、この途上には三大阿僧祇劫にわたる実証の道程が横たわり、一つの相また一つの相を破り尽くし、尽きるまで還元し、家に帰り安坐する必要がある。しかるにその時既に帰る家無く、坐する場所無く、身を安坐させる体さえ存在しない。これは赤裸々・空洒々たる大解脱法門では無いか。世人よ、早く相を捨てよ、早く纏縛された窒息感から脱却せよ、早く一切の重荷を棄て去れ!
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