衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年06月06日    木曜日     第1 回の開示 合計4186回の開示

意根が言語文字と相応しないとはどういう意味ですか?

意根が言語文字と相応しないというのは、意根が自らの思想・観念・見解を言語文字で表現できないという意味である。ただし意根が言語文字を理解できないわけではない。全局を統括する主導識である以上、六識を指揮調達する権能を有しており、自らは話せず文字表現できなくとも、意識に発話させ、意識に文字表現させることができる。多くのできない事柄も六識を動員して補佐させることができる。例えば大統領は精力に限界があり分身の術がなく、国家全体の大局を掌握するのみで、市場調査や統計分析などの具体的業務は行えないが、部下を任命してこれらの業務を遂行させることができる。意根は全局を統括する必要があるため、具体的な事柄を自ら処理できず、五倶意識や独頭意識を用いて細々とした事務を処理し、意根は報告を聴取すればよい。報告聴取の過程で、思心所・慧心所・勝解心所を用いて判断と選択を行い、その後命令を発して六識に指示通り問題解決をさせる。

意根は譬えるなら唖者に似ており、自らは話せなくとも人の話を理解できる。第八識も同様に、話すことはできず言語文字に通じないが、独特の了別方式を有しており、七識とは異なる特殊な情報を了別する。意根の思は意識の思に劣らない。もし大統領が時間と精力を割いて専ら市場調査に取り組めば、部下より優れた成果を上げられるかもしれないが、ただ時間と精力がないだけである。意根が六識に代われば六識を凌駕し得るが、現在は精力が不足しているだけである。故に修定を重ね修定を重ね更に修定を重ねる必要がある。これこそ意根に時間と精力を割かせ、専注に専注を重ねることで、意根の大智慧が湧現する所以である。

意根を一つの識、或いは一人の人間と見做せば、意根の体性と心所法を理解できる。意識と五識は意根に代わって業務を行う存在である。もし意根の智慧が充分であれば、六識が如何なる事を行おうとも意根は全て明瞭に把握できる。もし意根の智慧が不足し勝解力も弱ければ、誤解が生じたり六識の作法が理解できず、六識の所為が明らかでなくなる。もし意識が表現を不得手とし、或いは表現が不明瞭であれば、意根も充分に理解できず、意識の思惑を了知し得ない。

——生如法師の開示
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