衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年05月29日    水曜日     第1 回の開示 合計4182回の開示

意根と六識における身口意の行いの関係

問:意根が人の身行・口行・意行を主導しているならば、身行と口行において六識は具体的にどのような作用を発揮しますか。

答:意識は身行と口行の具体的な執行者、つまり造作者です。身行と口行から意識の運行様式とその作用を認識すべきです。例えば歩行・停止・坐臥・言語談笑・飲食などは全て意識と身識の共同作用によるものですが、これを操作するのは意根です。表面的には意識が指揮しているように見えますが、意識は意根に提案を提供するだけで、最終決定は意根にあります。運行過程で意識が新たな考えを生じ意根に提案した場合、意根が合理性を認めればこれを採用し、同意しなければ決断と命令は変更されず、意識は従来通り運行を続けます。

身行は意識と身識の和合作用であり、口行も同様に意識と身識の和合作用です。色を見ることは意識と眼識の和合作用、声を聞くことは意識と耳識の和合作用、香りを嗅ぐことは意識と鼻識の和合作用、味わうことは意識と舌識の和合作用、触覚を感じることは意識と身識の和合作用です。六根の運行には全て意識の作用が関与しており、意識がなければ五陰身は動作せず、意識が弱ければ五陰身も動作し難くなります。

衆生が定力不足で観行の智慧も不十分な時は、六識が身口意行で作用する様子のみを見て、意根の主導作用と決断作用を見ることができず、まして第八識の根本的役割を見ることはできません。これは意根と第八識の運行相が極めて微細であるためで、一般の人は善根福德が不足しているため観察が困難です。観察できないが故に、一切法は六識の機能作用であり意根や第八識は存在しないとする六識論の無智説が生じるのです。

——生如法師の開示
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