衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年04月28日    日曜日     第1 回の開示 合計4166回の開示

物質は観測される場合もされない場合も、本来の状態である

ある人が言う、物質は観察されるかされないかで状態が異なると。では物質が観察されていない時、その状態をどうやって知るのか。物質の状態を知る時点で、既に物質は観察されたのであり、観察しなければ物質の状態を知ることはできない。例えば人が壁を見ている時と誰も見ていない時、壁に何か変化があるだろうか。10人が壁を見るのと1人が見るのとで、壁に違いはあるだろうか。家を出る前の家と出た後の家に、何か違いがあるだろうか。無論、色法(物質現象)は観察されるか否かにかかわらず刹那刹那に生滅変化しており、違いはその変化を我々が定力と智慧で観察できるかどうかにある。

宇宙器世間の物質色法は、共業の衆生の如来蔵が衆生の共通の業種に基づいて生じたものである。衆生が全て消滅した後、業種も無くなり業縁が終われば、物質色法は徐々に消滅する。これには一定の時間を要する。物質色法が変化したことを知り、変化後の状態を知ることは結果であり、これは自証分である。自証分があれば必ず相分があり、必ず見分がある。見分があれば必ず観察したのであり、観察しなければ観察結果である自証分は得られず、何も知ることはない。

人を密閉された無人の空間に閉じ込め、誰も観察しなければ、その身体が波動に変わるだろうか。実験してみるとよい。人気のない山に入り、誰にも観察されない時、自ら体験してみよ。身体は波になったか。もしそうなら、誰が子供を一人で家に閉じ込めようか。科学や実験は必ずしも真実の科学ではなく、多くの現象を理に適い真実のままに解答できず、誤った解答をしているかもしれない。仏法と一致せず、仏法で説明できないものは、必ず誤りと漏れがある。科学者がどのような方法や装置で実験しようと、最終的には眼で識別しなければならず、その識別は眼識・意識・意根・第八識が共同で作用する。故に結果を知るとは必ず観察したのであり、観察されないものはない。

一切の物質色法は本来質礙作用を持たない。神足通を得た人々がこれを証明している。神足通のない人々がなぜ物質に阻まれるのか。それは意識と意根の錯覚的解釈により、一切法を真実と見做し、心に滞礙が生じるため、物質に阻害作用が現れるのである。心に滞礙がなければ、身体は直ちに壁や高山、深海、はては須弥山をも超越し、二つの身体は完全に重合し、圧迫感を覚えることはない。物質は全て微粒子状態であり波動状態でもある。本来このような性質を持つため、物質はエネルギーを持ち、運動勢いを有するのである。

色身は意根の堅固な妄想によって形成される。意根の妄想は全て堅固で改め難く、故に一切法は滞礙し、心に種々の不如意や挫折が生じる。心を変えれば、一切法を変えることができる。


——生如法師の開示
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