衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年04月24日    水曜日     第1 回の開示 合計4164回の開示

如来蔵の見性は仏性です

問:ある時、階段に座って念仏を唱えていたところ、見ているようで見ていないような状態で、突然黒い物体が目の前を掠めました。内心驚き、正体を見極めようと注意深く観察すると、それは黒い鳥でした。この時、眼識がまず感知し、意根が危険を感じて無意識に驚き、その後意識が生じて詳細に分別し「鳥である」と認識しました。これはあたかも鳥が常に存在する識心を飛び越え、鏡が絶えず映し続ける中を鏡面を横切るかのようです。人間には通常、見る見ないに関わらず常に存在する機能があり、これを「見性」と呼びますが、この見性は仏性と言えるのでしょうか。

答:突然目の前を黒い物体が掠めるのは眼識が捉える朧な色境です。内心の驚きは意根が対象を認識できずに警戒反応を起こし、詳細を分別しようとする意識の働きです。これに先立ち意識が現れる前段階では、眼識単独では分別できず、意根の習慣的な執着が刹那的に物体の通過を感知させます。仮に意根に習慣的執着がなければ、黒鳥どころか猛虎が現れても気付かないでしょう。

如来蔵の見大なる種子から生じる如来蔵の見性、これが仏性です。仏性は第一月たる如来蔵に依って現れる第二月の見性であり、まず仏性が作用し、続いて七識が刹那的に活動します。その他の詳細は縁熟する時に自ら参究体得すべきです。


——生如法師の開示
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