衆生と仏は真如の仏性においてのみ平等であり、仏性を有する限り、衆生は最終的には皆仏となる。衆生と仏が平等でないのは、真如が演じ変化させた五蘊の世間に現れる仮の相である。仮の相はあくまで仮の相に過ぎず、真に注視すべきは生滅しない真相である。しかし平等に真相を見るためには、まず仮の相が確かに空であり無我であることを証得し、次に真相を証得した上で、改めて仮の相の如何に仮たるや、真相の如何に真なるやを観じ、心中に明瞭に了知せねばならない。これにより初めて衆生を見る毎にその真相を観じ、仮の相を見破り、遂には一切の相に執着せず、心が平等となり、平等性智を獲得するのである。
仮の相が空であり無我であることを証得した後、煩悩を降伏させ始め、時至れば煩悩を断じ尽くす。真相を証得する時、同様に煩悩を降伏させ断除し、我執と法執が次第に断たれ、心はますます清浄で平等となり、遂には四智が円明して仏道を成就する。かくして衆生と仏は真相においてのみならず、五蘊の世間に現れる仮の相においても平等となり、これこそ完全無欠の真の平等となるのである。
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