「正しい人が邪法を用いれば、その邪法も正しいものとなり、邪な人が正法を用いれば、その正法も邪なものとなる」という言葉があります。肝心なのは人の心と智慧なのです。菩薩の心で小乗を修めれば、小乗も大乗となり、利己的な心で大乗を修めれば、大乗も小乗となります。大小乗の区別は心を基準とし、法を基準とはしません。法に大小はなく、心の広さに大小があるため、修める法の大小が明らかになるのです。
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