衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年03月13日    水曜日     第1 回の開示 合計4140回の開示

縁起所生の法における因とは何か

諸法が必要とする縁とは、助縁や助力であり、補助的な意味を持ち、主導的な役割は果たしません。主導的な役割は、法や結果を引き起こす前因にあります。例えば甲が乙に殴られた場合、これは悪法ですが、縁は甲乙の出会いであり、ある人物や出来事を契機として殴打現象が生起します。実際にはこれに先立つ原因があり、この事件を引き起こしました。もし前因がなければ、たとえ縁が具足していてもこの事件は発生しなかったでしょう。前因が存在しなければ、たとえ今回の殴打事件が発生しても、それは将来の事件を生起させる因となり、将来助縁が現れた際に、今回の事件を起因として甲が乙に復讐し、乙が再び殴打される可能性、あるいは他の不愉快な行為が発生する可能性があります。

前因は因縁所生の法であり虚妄であり、結果も因縁所生の法で同様に虚妄です。いずれの法も因縁所生の法であり、全て実体のないものです。因も虚妄、縁も虚妄、果も虚妄、これら全ては八識の和合作用によって現れます。推動者は意根と業種であり、これを造り出す者は如来蔵です。六識が配合することによって、法は幻のように現出します。七識もまた幻化されたものであり、幻法が幻法を生み、幻の上に幻を重ねます。ただ如来蔵だけが幻ではなく、故に一切の法を幻出します。もし如来蔵も幻であるならば、さらに如来蔵を幻出する法が存在することになり、これを遡及すれば全てが幻となります。もし幻でない法が存在しなければ、法界は成立し得ません。


——生如法師の開示
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