問:我見を断じた証果を修めることで輪廻から脱する確証を得られるのか、それとも念仏を唱えて極楽浄土に往生する方が生死輪廻から脱するのに確実なのか。万全かつ相対的に安定した法門は存在するのでしょうか。
答:この問いの核心は二点にあります。第一に、如何にして確実に輪廻から解脱を得るか。第二に、浄土念仏の修行は我見を断つよりも迅速で確実か。申し上げます。生死輪廻を超越する最も確実な方法は、今この時に聖賢と同等の徳能を体得し、身心世界を聖賢の如くすることです。単に知見や見地が聖賢と同等であるだけでなく、禅定や神通、品徳修養や心性、心量や願力、発心、慈悲喜捨の四無量心においても聖賢と同等でなければなりません。要するに、あらゆる面で聖賢と等しくなって初めて、聖賢の如く解脱自在となり、寂静涅槃に入り、業力の束縛を受けなくなるのです。この見解にご同意いただけますでしょうか。
四諦の理念は衆生に娑婆世界の五蘊世間を看破させ、娑婆世界の諸縁を放下して一心に念仏し、極楽を求め、心を浄土に相応せしめます。これにより往生は容易となります。仮に初果向や初果を得れば、極楽往生は更に確実です。四諦の理がなければ、念仏は心ここにあらずとなり、娑婆世界の諸縁に囚われ、貴重な時間を空費するのみです。故に四諦の修行と念仏は矛盾せず、互いに融合し促進し合うものです。
証果と明心は、共に凡夫の生死輪廻から脱した境地を表します。この境地に至れば、徳行と徳能が共に高遠であることを示します。この高遠な徳行徳能を名付けて、我見を断じた証果、明心見性、預流果から阿羅漢までの四果、三賢位の菩薩、初地から八地の菩薩などと定義します。仮に名称や定義がなくとも、これらの徳能徳行を具備すれば、即ち解脱を得て凡夫の生死輪廻を超越したことになります。故に衆生は如何なる修行をしようと、この境地に達すれば足ります。身心世界を八度昇華させ、自らの境地を即座に解脱の域に高めればよいのです。身心世界を変革することが根本であり、自らの徳能を高めることが肝要です。他の要素は全て従属物に過ぎません。自らの徳能を高めず、身心世界を変革できなければ、従属物も現れず、それに執着しても何の益もありません。最も確実な修行法門が何か、お分かりでしょう。
あらゆる果報は如来蔵によって実現されます。如来蔵は何に基づいてこれらの果報を現起するのか。修行者の心行、身口意の行いによるのです。心行が至らなければ、身口意の行いが至らなければ、如来蔵は如何なる果報も現じません。如何にして初果から四果へ、三賢位から入地の菩薩へ至ることができようか。如何にして極楽浄土に往生できようか。これらの果報は個人の定義や取捨に依らず、如来蔵が現起するものこそ真実不虚です。故に果報に関する議論や計算より、足を地に付け理法に従って修行することが最も実践的です。
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