衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年02月24日    土曜日     第1 回の開示 合計4129回の開示

南無阿弥陀仏を唱えることと阿弥陀仏を唱えることとは何が違うのか?

南無は帰依を意味し、誠心誠意より依りどころとして従うことを表し、阿弥陀仏は仏の本尊の名号である。仏名を唱えるのは、仏を感じ取り、仏と相応し、仏の加護を求め、救済の手を差し伸べていただくためである。二種の念仏方法に本来違いはないが、二字多い分だけ心の動きが曲折し、阿弥陀仏と念ずる方がより直接的で、心が単純化され、三昧を得やすい。

念仏は単に仏を念ずるためではなく、心を制御し、真心から阿弥陀仏に帰依し、念仏三昧を得るためである。念仏三昧において初めて阿弥陀仏を感じ取り、阿弥陀仏と相応し、往生の確信を得られる。故に念仏もできる限り心を落ち着け、心を専一にし、仏号を唱える際には心に仏を宿らせ、敬虔な心で念ずる必要がある。心を制御し定めるため、仏号を唱える際の声調は高く上げ過ぎてはならない。そうすると気を消耗し、心が散乱しやすく、収束しにくい。声を低く抑え、集約的に発すれば、気が集まり、心神が安らぎ、心が雑念なく集中し、定を得やすく、念仏三昧を得て仏の加護を受けられる。

心で仏を念じ、念仏三昧を得るためには、次のように念仏を試みるとよい:徐々に「阿」の字を念じ出し、「阿」の音を長く引き、弥陀仏とは発音せず、同時に心の中には阿弥陀仏の本尊を置く。「阿」の字を外に表出させ、「弥陀仏」の三字を心底に隠し、一文字の音声で仏全体を代用し、心に雑念なく全てが仏となる。このように念仏すれば三昧を得やすい。

——生如法師の開示
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