「相似」とは類似・近似を意味し、形は似ているが本質は異なる、真実ではないが真実に似ているという意味でございます。相似三昧はまだ三昧の境地に達しておらず、三昧に近接し、三昧に類似し、あたかも三昧の如くではあるものの、真の三昧ではございません。相似無生忍と無生法忍につきましても同様に、未だ無生忍と無生法忍の境地に至っておらず、ただ無生忍と無生法忍に相似し類似しているだけで、真実の無生忍と無生法忍ではございません。
中国語の名詞概念を明確に把握すれば、一つの文あるいは一節のおおよその意味は自ずと明らかになるものでございます。自らの思考を怠らず、常に思索を重ねることで、次第に仏法の教義は自ら通達できるようになるのでございます。常に他人や既成の答えを当てにするのは、自ら深く考えようとしない姿勢の現れであり、このような態度では智慧を増すことは叶いません。自らの頭脳の智慧に頼ることを学ぶ必要がございますが、その前提条件と致しましては、不断に福徳を修め禅定を実践することが求められるのでございます。
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