衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2024年02月16日    金曜日     第1 回の開示 合計4122回の開示

無生忍とは何でしょうか?

無生には二つの意味がある。一つは、五蘊の世間法が表面的には生滅があるように見えるが、実質は空であり無生であるということで、生はただ幻化された仮の相に過ぎず、生じても実は生じていないという認識の智慧である。五蘊が無我であることを忍可するのは大いなる智慧であり、これを無生忍と呼び、これが小乗の無生忍である。無生のもう一つの意味は、法界の真実である如来蔵が無生であり、先天から存在し不生不滅であることを指す。如来蔵の無生を忍可できることは更に大いなる智慧であり、これも無生忍と呼ばれ、大乗の無生忍である。大小乗の無生を合わせて観察すれば、世間出世間の一切法が無生であり、全て涅槃寂静であり、一法として執着すべきものはなく、執着する者もされない者も皆無生であることがわかる。

なぜ「忍」と呼ぶのか。以前は五蘊が実在するものと考え、生滅する現象も真実だと思い、五蘊が無生であることを知らなかった。今や大小乗の両面から五蘊が空で無我であることを証得し、この極めて理解し難い理を認め、忍んで受け入れるには大いなる智慧が必要である。智慧がなければ忍耐し認可することはできず、故に忍は智慧そのものである。

小乗が無生忍を得るには四聖諦の理を修学し、五蘊を観行して断じ五蘊空・五蘊無我を証得しなければならない。空の現象は存在するが、この空もまた空であるため無生である。小乗の修行者がこの理を忍ぶことができれば、これを無生忍と呼ぶ。この無生忍の智慧の境地は大乗無生忍より劣弱で粗雑であり、地上の菩薩が証得する無生法忍の智慧に比べれば更に低く浅い。

大乗無生忍は、大乗菩薩が本心如来蔵を証得した智慧の境地である。如来蔵を頓悟すると同時に五蘊無生の理も頓悟し、如来蔵も五蘊も共に無生であることを心中で受け入れ忍可する時、無生忍の智慧が現れる。以前は五蘊身の運行中に不生不滅の如来蔵が存在することを知らなかったが、今や如来蔵の存在を知る。ただし未証得時は単なる知解に過ぎず、証得後に初めて本心が確かに不生であることを真知する。真知すると同時に、五蘊が如来蔵から生じ如来蔵に依存して存在することも証得する。五蘊は生滅を繰り返し、造作した業行が種子として如来蔵に存し、後世に種子が発芽して新たな五蘊が生じる。故に如来蔵は滅することなく、滅しない以上生じられた法ではない。

忍とは、耐え忍び受け入れる意味であり、安住の意もある。忍辱は他人の侮辱を耐え受け入れ、反撃しないことである。四加行における忍は、能取所取の空・五受陰の空・十八界の空を心中で忍可し承認することを指す。無生忍と無生法忍の忍も同様に、諸法が無生無我であることを受け入れ承認し、心中に抗争も疑いもなくなることを意味する。これこそ大いなる智慧が生じた現れである。


——生如法師の開示
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