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日常法話

2024年02月15日    木曜日     第11開示 合計4121開示

見性とは何ですか

見性は如来蔵が諸法を見る妙なる功徳の性であり、如来蔵の見大の種子によって形成される。如来蔵が諸法を見た後に、七識はじめて見る能力を得て、それぞれ対応する法を見ることができる。見性は仏性とも呼ばれ、如来蔵性とも呼ばれ、如来蔵の妙用である。仏性がなければ、一切の法は起用することができず、生起することもない。それゆえ仏は「一切の法はことごとく如来蔵の性であり、ことごとく如来蔵の功能作用である」と説かれた。

仏性たる見性は覚性とも呼ばれ、如来蔵が諸法を覚知する性である。如来蔵の覚性には生滅がないが、覚性が現起するには条件がある。その条件とは『首楞厳経』に説かれる明暗・色空・通塞などの生滅法の存在である。これらの生滅法・因縁法がなければ、覚性は現起して運行することができない。如来蔵が諸法を覚知し、覚了した後に、七識はじめて覚知の能力を得て、諸法を覚了し、諸法を知見し、諸法を覚受することができる。それゆえ仏は「如来蔵の覚性は妙なる真如の性である」と説き、「一切の法はことごとく妙なる真如の性であり、妙なる真如の性がなければ一切の法は現起することも生じることもない」と説かれた。この仏性たる妙なる真如の性はかくも重要であり、如来蔵の五遍行心所法と和合して、一切の法を完璧に顕現し、五蘊の世間はかくも絢爛多彩で多様性に富んでいるのである。

如来蔵は電灯に譬えられ、仏性は灯火に譬えられる。電灯が光を放って諸法を照らし見せ、その後如来蔵はじめて諸法を運行し、運行する際に心所法が伴って起用する。仏性が妙用を現起した後に、諸法が顕現し、七識が諸法を見、八つの識が和合して運行する。見性たる仏性は、如来蔵の本体に依ってはじめて起用するが、如来蔵の本体そのものではなく、また永遠に無条件で起用できるわけでもない。ここには一種の起滅の現象が潜んでいる。しかし仏性の起滅を五蘊の世間法の生滅と混同すべきではない。両者には本質的な区別があり、世間法は無から有へ、無より生じるものであるのに対し、仏性は本来より存在し、生じることを必要としない。


——生如法師の開示
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