衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2024年02月13日    火曜日     第1 回の開示 合計4120回の開示

心念と心聴の原理

心念心聴は心念耳聞ではなく、心念耳聞とは耳で聞くと言いますが、実は耳で聞くのではありません。耳識は内心の声を感知できず、声に出して念仏を唱える外在的な音声のみを感知します。意識は内外(心と口)の音声を共に感知し、意根は定力の状況に応じて、感知の深浅に異なる程度で関与します。心念は声に出さず、念仏には身識が存在せず、意識のみ、あるいは意根と意識が共に念仏する状態であり、この意識は独頭意識です。心念の音声を聴く識心は独頭意識が聴いており、意根も共に聴いています。

また別の心念の状態として、意根が単独で念仏する場合があり、この時観察できるのも独頭意識であり、意根も共に内観します。一般的に、定力が浅く内観力がない場合、独頭意識は意根の念仏を観察しにくく、定力が深まって初めて自心が念仏していることを観察できます。心で念仏する時、定力が深まるほど意根の念仏への関与が深まり、意根自体と独頭意識が自らの念仏の心念をより明晰に観察できるようになります。これは既に念仏三昧の境地に達しています。

意根の心念は呪文を唱える際にも現れ、経典を読み呪文を誦する時にも意根を共に参加させることができます。これには禅定が必要であり、禅定が深まるほど意根の関与も深まります。心が静かな時、独頭意識は意根の心念を観察できますが、意根には言語文字や音声がなく、ただ心念のみ存在します。心念とは心所法を念じることを指します。経典を読み呪文を誦する際はゆっくりと黙読黙誦し、これにより意根が集中して共に念じられるようにします。定力が深まると、意根は深く集中して念じるだけでなく、内観力も強まります。ここでは独頭意識と意根の双方に内観力が存在し、二者を区別するのは容易ではなく、非常に深い禅定と静かな心が必要であり、識別力を得るため、二者の内観力に対する誤解が生じやすいのです。

定とは即ち集中力であり、雑念なく集中するには二つの方法があります:第一に極めて速く誦する方法で、これにより雑念が入る隙がなくなり、第二に極めて遅く誦する方法で、心に雑念が生じず一心に集中します。ただし第一の速誦法は一時的に用いるのみで持続できず、気力体力を消耗するためです。定力の強弱は直接的に意根の諸法への関与度に影響し、意根がより関与するほど事を成し得る智慧が生じます。故に禅定と定力は仏道修行に役立つだけでなく、世俗法における生存にも極めて有益です。

修行は心を込めて行えば、一つの関門を越えるごとに飛躍的に進歩します。皆様が世俗法を離れ、一心に仏法に向かい、根本を求め、浮華を取らぬことを祈念いたします。

——生如法師の開示
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