仏法には二つの意味がある。一つは、仏陀が説かれた法であり、成仏して解脱を得るためのすべての方法を指す。もう一つは、特に如来蔵の法を指す。二つの意味は、一つは広義であり、一つは狭義であるが、仏典の大部分で説かれる仏法は、如来蔵の法を指している。仏とは如来であり、仏心とは如来蔵であり、仏法とは如来蔵の法である。なぜなら、一切の法は如来蔵によって顕現されたものであり、一切の法は如来蔵によって成立しているからである。したがって、仏法とは如来蔵の法に他ならない。
では、外道の法は如来蔵によって顕現されたものだろうか。もちろんそうである。如来蔵がなければ外道も存在せず、外道の法も存在しない。如来蔵を離れては善人も悪人もおらず、善法も邪法もない。如来蔵以外の法はすべて仮のものである。しかし、仮の法にも仮の法の作用があり、特に善法の作用は悪法を防ぐことができる。ただし、善法に執着してはならない。そうすれば、後により優れた善法が現れるであろう。
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