法施やその他の善行を行う際には、常に善き作意を持つべきです。心の中で他の人々が様々な利益を得られるように願い、そのような心を発起すれば、護法神が願いを成就させるだけでなく、自らの如来蔵も願いを成就させます。こうして布施を受けた人は感応を得て加持を受け、心情が愉快になり、布施を受け入れやすく、心量を開いて智慧を生じます。これによって善縁が結ばれ、自らも福徳と功徳が増大し、事半功倍の効果で自他共に利益を得、物事が円満に成就します。
心の働きは全てを変える力を持ち、回向と同様に、一人の善き心念が発せられると磁力を生じ、磁場のエネルギーが強まって人を摂受しやすくなります。至誠の心を発すれば加持力と導きの力が生じ、相手は心霊感応を得て、読む者が軽快愉悦を覚え、効果が現れます。咒願とはこの作用を起こすもので、他者が加持助力を得て向上すれば、自らの福徳功徳も自然に増大します。これを自利利他と呼び、人を度する者は自らを度するのです。何事においても、自らの心意を込め、至誠の心をもって事に当たり、専注の心をもって行えば、全てのことが良く成就します。食事を作れば香り良く、花を育てれば繁茂し、野菜を栽培すれば豊作となり、事業を行えば容易に成就します。
各人の用心の在り方次第で結果は大きく異なります。他者に自らの誠意を感じさせれば、相手はその誠意に応え、報いは速やかに訪れます。なぜある人が人と接する際に他者から好かれるのか。誠心と専注心があり、善意を発すれば他者が感じ取り、応答と反響があるからです。これが効果の現れです。華厳経において釈尊は、何事を行う際にも相応しい咒文を念じ、他者が善果を得ることを願い、人々が善法の功徳利益を得られるよう咒願するよう教えられました。咒願が成就すれば衆生は利益を受け、自らは相応しい功徳と福徳を得るのです。他を利することは必ず自らを利することなのです。
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