衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2024年02月02日    金曜日     第1開示 合計4110開示

どのように魔難を減らすことができるのか

問:禅定においてすでに肉体の束縛を脱し、万法虚妄の性体を静かに観じ、空と識を捨て、内外の二境を離れ、無所有処に縁って、心内は空しく依る所なく、諸想起こらず、安穏寂静である。これは典型的な四空定の無所有処定、禅定第七層の高みである!なんと深遠なことか、このような聖境に達した者はおられるか?

答:これは純粋なる四禅八定の境界であり、聖人の境界ではない。解脱の智慧に関わらず、我見を断つ智慧もなければ、明心見性の智慧もないからである。純粋な禅定の境界はまだ仏門の外にあり、ゆえに外道定と呼ばれる。仏在世時の外道たちにはこの定を得た者が少なくなく、当時は禅定は決して珍しいものではなかった。現代の外道たちはとっくに深い禅定を修得できなくなっており、ゆえに今を末法の世と呼ぶのである。末法の世では外道さえも専門的ではなくなっている。仏法がどうして盛んになりえようか?仏が二千年前にインドに降誕なさったのは、衆生の善根が成熟し、多くの者が解脱を求めながらもその方法を知らず、皆、禅定こそが生死の苦から解脱させると考え、競って禅定を修め、精進を重ね、仏法の外にある外道となったからである。仏は世人を憐れみ、世に降誕して甘露を注ぎ、衆生の苦を除かれたのである。

もし今、一人の者が無色界の四空定を修得し、神通が顕現すれば、衆生はそれを知れば狂乱のごとく崇拝するであろう。そしてこの者が別の意図を持って仏教を支配せんと企て、他のことを行い、衆生を籠絡すれば、一般の者は到底抗しきれず、為す術もなく、見破ることさえできず、どうして彼を破る力があろうか?後世にこのような魔が現れて仏法を乱すならば、四禅八定と大神通を具えた菩薩のみが彼を破り、衆生が魔道に入らぬよう守護することができる。仏は経典の中で、あらゆる外道は登地の大菩薩でなければ破れず、八地の菩薩は一切の外道を破り、八地以下から初地までは一部の外道しか破れないと説かれている。凡夫は外道や魔に対して頂礼膜拜するのみで、見破る智慧を持たない。ゆえに邪を破り正を顕すことは、一般の者がなしうるものではなく、衆生には邪を破り正を顕す力がなく、加担者とならぬだけでも大したものである。衆生はただ多く見識を増し、理性を養い、感情を抑え、無思考な崇拝を減らすことで、魔に与える便宜を減らし、衆生の魔難を少しでも減らすべきである。

——生如法師の開示
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迷妄なる空性はなお野狐禅なり

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例を挙げて説く実証とは何か

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