衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2023年12月13日    水曜日     第1 回の開示 合計4075回の開示

大乗法の二十種の空

大般若経第五十一巻において、仏は大乗に二十種の空があると説かれ、菩薩はこれらを修学すべきであると示されました。それらは内空・外空・内外空・空空・大空・勝義空・有為空・無為空・畢竟空・無際空・散空・無変異空・本性空・自相空・共相空・一切法空・不可得空・無性空・自性空・無性自性空です。世俗法の空とは無・無い・存在せず・不可得を指し、自性如来蔵の空とは世俗法の一切の相を離れた空であり、世俗法とは異なり本体は実在しますが、世俗法を認知するような方法では正しく認識できず、世俗の認知方式で如来蔵の空を理解しようとすれば誤解を招きます。二十種の空の概要は以下の通りです:

内空とは内法の眼耳鼻舌身意が空であること。外空とは外法の色声香味触法が空であること。内外空とは内外法の内六処と外六処が空であること。空空とは一切法が全て空であり、この空もまた空であること。大空とは東西南北四維上下の十方が空であること。

勝義空とは涅槃が空であること。涅槃がなぜ空かといえば、涅槃は如来蔵本体が示す寂静の状態に過ぎず、状態は真実の法ではなく、ましてや如来蔵によって顕現されたものであるためです。涅槃と如来蔵本体を混同してはならず、前者は仮、後者は実であると弁えるべきです。

有為空とは欲界・色界・無色界の三界が空であること。三界は造作されたものであるため有為であり、無から生じた法は本来空です。無為空とは生住異滅の現象が空であること。生住異滅の現象も、その無い状態も共に仮立の法であり、言説に過ぎません。畢竟空とは諸法が究竟において不可得であること。この不可得さえも空であり、可得不可得は全て戯論です。

無際空とは一切法に前際・中際・後際の区別がなく、往来の際も不可得であること。現象の発生・展開・変化の前後関係も空です。衆生の過去・現在・未来世も空であり、往来の際も空。一切の現象・性質・状態が空です。

散空とは一切法の離散・散壊・棄捨が空であること。凝集も離散も共に空です。無変異空とは不変・不壊・不離・不捨が空であること。変化と不変は共に戯論であり空です。

本性空とは一切法の本性が空であること。有為無為を問わず、その法性は誰にも造作されず、故に空です。

自相空とは一切法の自相が空であること。色蘊の質礙、受蘊の領納、想蘊の取像、行蘊の造作、識蘊の了別、これら五蘊の自相も、無為法の自相も全て空です。

共相空とは一切法の共通相が空であること。有漏法の苦、有為法の無常、一切法の空・無我という共相も空です。阿羅漢の証する五蘊空・無我も、辟支仏の十二因縁も空。一切法の無量の共相も、自相と共相の全てが空です。

一切法空とは五蘊・十二処・十八界が、色ある無し、見える見えぬ、対ある無し、漏ある無し、有為無為を問わず、全て空であること。

不可得空とは一切法が不可得であり、この不可得さえも空であること。三世の法は立足点を置けば相互に不可得となり、この不可得も空です。

無性空とは一切法に性質・属性が無く、この無性も空であること。例えば水に水性・非水性・湿性・軟性・硬性・動性等が無く、五蘊にも五蘊性・非五蘊性が無い如く、一切の無性も空です。

自性空とは諸法が自体的に空であり、主宰性・和合性が空であること。無性自性空とは諸法の無主宰性・被主宰性・能和合性・所和合性が全て空であること。

諸法の有性・無性・自性・他性は皆空です。有性空とは五蘊の存在性が空。無性空とは諸法の無為性が空。自性空とは一切法に自性が無く、この空は智見や他法によって成るものでは無いこと。他性空とは仏の出世不出世を問わず、法住・法定・法性・法界・平等性・離生性・真如・不虚妄性・不変異性・実際が皆他性によって空であること。

総じて、全ての言説・知見・指示・観念・思惟造作・法想は実義無く、空尽くしの果てに空じ切れぬものこそ不空の空であり、それ以外は全て空です。


——生如法師の開示
前の記事前の記事

心所法、仏性、如来蔵の関係

次の記事 次の記事

二十種の空における比量の思惟

ページのトップへ戻る