衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年10月09日    火曜日     第2 回の開示 合計897回の開示

禅を参ずるために必要な幾つかの条件

いわゆる参禅とは、観行思惟によって如来蔵を参究し、真如仏性を証得することである。参禅は人を探す道理と同じで、人を見つけるにはまずその人を知るか、あるいはその人の写真を持ち、心中にその人の姿を知ってこそ、初めて見つける可能性が生まれる。

次に、どこを探すべきかを知らねばならない。目的もなく闇雲に探すのは大海で針を探すが如く、望み薄である。その人が現れる可能性のある場所をすべて把握し、どこに人が潜み、どこに隠し通路があるかを知る必要がある。第三に適切な交通手段と時間、旅費を要する。またその人を見分ける眼力がなければ、向かい合っても気づかない。最も確実なのは、その人を知る者、その場所を知る者に案内されることで、これが最短の道である。故に一人の人間を探すさえ容易でないのに、ましてや我々が無始劫以来ずっと知り得なかった真如仏性は、さらに困難を極める。

よって参禅には基礎を固め、必要な条件を整えるべきである。基礎作りとは菩薩の六波羅蜜を修行することで、一つでも欠ければ証悟できず、参禅も効果を発しない。人を探す方法と照らし合わせれば、参禅で真如心如来蔵を探すにも幾つかの段階が必要である。

まず如来蔵の体性を理解しなければならない。大般若経や心経・金剛経などを学び正知見を備え、その後初めて如来蔵を探求し始められる。

次に、如来蔵がどこに現れるかを知る必要がある。般若の学びを通じ、五陰の様々な活動の中、六根が六塵に触れる際に現れることを明らかにする。いわゆる「生縁処々、処々生縁」である。妄法が現れるところには必ず如来蔵が顕現し、全ての法の出生は真妄和合による。この真妄和合の場は重要な観察対象であり、この知見は必ず備えるべき肝要である。

さらに、如来蔵が五陰の活動中に現れる以上、五陰の体性も明らかにせねばならない。七識が色身に作用して五陰を成すならば、七識が鍵となり、その体性も理解する必要がある。これにより真法も妄法も明らかになり、真妄和合の際に様々な五陰の妄法の中から真法を見出すことができる。

これら正知見を得た後は、福徳を積み、相応する定力で参究し、最も重要なのは善知識の導きを得て無駄な遠回りを避けることである。定力を具えるには戒律と忍辱が前提で、精進の心も必要。これらが菩薩の六波羅蜜の大要であり、詳細は各自が経典を精読し体得して実践すべきである。最後に時節因縁が整う時を待ち、第八識如来蔵を見出して明心悟道するのである。

故に菩薩の条件を満たすことが、我々の目下の努力目標であり修行の着手点である。修行は焦って進まず、一歩一歩、一段ずつ昇るべきで、足腰強くせずに走らず、功を急ぐ考えは克服せねばならない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

《父子合集経選釈》

次の記事 次の記事

一切法には意根の選択作用がございます

ページのトップへ戻る