下品下生の者。或る衆生あり。不善の業を作し。五逆十悪を犯し。諸々の不善を具足せり。此の如き愚人は。悪業の故に。悪道に堕つべきが。多くの劫を経て。苦を受くること窮まり無し。此の如き愚人は。臨終の時に。善知識に遇い。種々の慰めを得。妙法を説かれ。念仏を教えらる。彼の人は苦に逼られ。念仏する暇無し。善友告げて言く。汝もし彼の仏を念ずること能わざれば。無量寿仏を称すべしと。此の如く至心に。声を絶やさず。十念を具足し。南無阿弥陀仏と称う。仏名を称うる故に。念々の中に。八十億劫の生死の罪を除く。命終の時。金蓮華を見る。日輪の如く。其の人の前に住す。一念の頃の如く。即ち極楽世界に往生を得。蓮華の中に。十二大劫を満じて。蓮華方開く。観世音。大勢至。大悲の音声を以て。其の為に諸法実相を広説し。罪を滅する法を除く。聞きて歓喜し。応時に即ち菩提の心を発す。
下品下生の状況は次の通りである。或る衆生は不善の業行を作し、五逆十悪の罪業を犯し、一切の不善業を具足した。此の如き愚痴人は此等の悪業の故に、三悪道に堕ち、多くの劫の時間を経て、尽きせぬ苦しみを受けるべきである。此の如き愚痴人が臨終の時に善知識に遇い、種々の教導と慰め励ましを得、妙法を説かれ、念仏を教えられる。其の愚痴人は既に苦痛に身を逼られ、念仏することが出来ない。
善知識は告げて言う。汝もし阿弥陀仏を念ずることが出来なければ、無量寿仏の仏名を称えよと。此の人は非常に誠心を以て仏名を称え、声の絶えることなく十句の南無阿弥陀仏名号を念じた。至心に仏名を称えた故に、念々の中に八十億劫の生死の罪を除滅した。命終の時、金色の蓮華が日輪の如く大きく、其の人の前に浮かぶのを見、此の人は一念の間に極楽世界に往生した。蓮華の中に正に十二大劫住み、蓮華が開いてから、観世音菩薩と大勢至菩薩が大悲の音声を以て諸法の実相を広く説き、其の罪業を除滅した。此の人は聞いて大いに歓喜し、直ちに菩提心を発した。
至心に念仏する者は、皆誠心を以て念仏する者であり、心の底から念仏する者で、口で念じて心で念じない者ではない。意識が信受し念仏するのみならず、意根も信受し念仏してこそ、念々に八十億劫の生死の罪を消除できる。此の罪が消えれば、障礙無く極楽世界に往生する。罪業は皆意根と相応する故、意根も念仏してこそ念々に八十億劫の罪業を消除できる。若し単に意識で仏を信じ念ずるだけで誠心が至らなければ、業を消すことが出来ず、まして往生など出来ない。大悪業を造った者が臨終に善知識の摂受に遇うことは非常に容易でなく、至心に念仏する者は娑婆世界では更に稀である。一生涯念仏しても意根に熏習されない者は至る所に存在する。故に大悪業を造った者が臨終に極楽世界に往生することは稀有で得難いことである。
下品下生は、大悪業を造り尚且つ仏法を信ずる機縁の無かった者を摂受する。此の様な者は臨終に直ちに地獄に堕ちる所であり、地獄の悪相が既に現れている場合さえある。此の時此の悪人は恐怖心を生じ、善知識が極楽浄土の念仏法門を開示する。此の人は尚若干の善根があり、内心の恐怖と無助に加え、直ちに深く信受し、十句の仏号を念じただけで、即時に極楽世界に往生する。此の様な条件を具えた者のみが下品下生できる。既に仏法を信じていた者が再び悪業を造れば往生できなくなる。既に仏法を信じ学んだ者が、念仏に早くも懈怠し誠心を失い、此の様な大罪を犯した場合、臨終に悪相現前しても至誠心を発起できず、故に往生できない。
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