衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年11月18日    土曜日     第1開示 合計4052開示

功徳が無駄にならない修行とはどのようなものか?

高齢者は、脳の萎縮により勝義根(しょうぎこん)が弱まり、六識の機能に影響が及びます。具体的にはどのような影響があるのでしょうか。例えば新しい人物に出会った際、その場では覚えていても、後になると忘れてしまうのは、意識の記憶力が衰えているためです。では意根の機能は影響を受けるのでしょうか。意根そのものの機能は影響を受けませんが、六識と連動する機能は六識の影響を受け、脳や勝義根の影響は受けません。なぜなら高齢者がその人物と会った時、印象が意根まで深く届かず、意識の層面に留まっているため、後になって忘れてしまうのです。

一方で高齢者は身内の甲に対する印象が強く、記憶も鮮明で、心から気にかけている場合があります。それにもかかわらず、甲に会った時に心でははっきりと甲だと分かっていながら、口に出すと乙の名前を呼び、しかも甲に関することを話すことがあります。これは意識が若干混乱している状態であり、意根は混乱していません。人は年を重ねるほど勝義根の機能が弱まり、意識はより混乱します。意根は混乱しなくとも、身・口・意の行いは意識と五識が共同で造り出すため、様々な錯乱や障害が生じるのは避けられません。

私たちが仏法を学び修行するのは、功徳を無駄にせず修行の功徳を失わないためです。ではどのように修行すべきでしょうか。意識の層面での理解・思惟・分析・暗誦・記憶に留まらず、禅定を修得することに努め、禅定の中で思惟し、学んだ教えを意根の心に浸透させ、さらに定の中で意根に思惟させ、現量の実証に至らしめるべきです。意根を多く用いてこそ真実の智慧が開発され、智慧が絶えず増長し、来世へと継続され、生々世々において活用され、生々世々において増長し、ついには円満に仏陀となるのです。

——生如法師の開示
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粗大な貪愛を降伏してこそ禅定と我見を断つことが必要である

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煩悩はどのように調伏し、断除されるのか

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