衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年11月10日    金曜日     第1開示 合計4046開示

人性を変えることは習性を変えることである

ある人は、人間性を理解するには、動物の世界をたくさん見るとよいと言います。動物の世界が分かれば、人間性の一部も分かるというのです。この言葉には道理があるでしょうか?なぜでしょうか?

六道を低いものから高いものへと順に並べると、地獄、餓鬼道、畜生道、人道、天人道、阿修羅道です。そのうち阿修羅の衆生は以上の五道の中に分布しているので、五道の中に含めて考えることができます。衆生は輪廻し、畜生道は人道と隣り合っており、習性が似通っています。畜生道から人道に転生した後は、人間性と畜生性が近く似通ったものになります。断我見(ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)していない人はみな、再び畜生道に戻り、畜生性を具足することになります。これは耳の痛い話です。前回、煩悩の問題で畜生道の問題に触れたとき、誰も話に加わろうとしなかったので、みなこの問題を避けているのだと分かりました。しかし、避けていては問題は解決しません。問題と向き合ってこそ道理が明らかになり、それによって問題を解決できるのです。

習性は意根に現れます。人が畜生から人間へと移行しても、意識は変わっても、意根は変わっておらず、骨の髄まで畜生あるいは鬼類の衆生と同じままです。そうであれば、後世の輪廻ではやはり三悪道に輪転し、三悪道の衆生性を具足することになります。

人間である間のこの程度の福報、名利や権勢、地位や種族などをあまり気にする必要はありません。三悪道に落ちてしまえば、何者でもなくなり、普通の人にも及ばないのです。だから、仏法に出会ったのなら、やはり重点を意根の修行に置き、意根を変えるべきです。意根が一度変われば、心性の属性が変わり、三悪道の衆生と区別されるようになり、果報も変わってきます。

自分を変えたいなら、まず自分を知らなければなりません。自分を知りたいなら、自分自身を観察するだけでなく、自分と同類の者を観察するだけでなく、さらに畜生類や鬼類も観察しなければなりません。というのも、それらは近く、おおよそ似通っているからです。それらすべてを理解すれば、自分自身を十分に理解したことになり、自分を理解してこそ、自分を変える方法が見出せるのです。

——生如法師の開示
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