衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年11月05日    日曜日     第1開示 合計4044開示

いかにして如来蔵に転依するか

如来蔵への転依とは、五陰身の一切の身口意の行いと心性を如来蔵に帰依させ、如来蔵に相似せしめることであり、五陰身の染汚性・煩悩性・無明性を如来蔵の清浄無我性へと転じることを意味する。如来蔵は如何にして清浄であるのか。例えば如来蔵には貪りという煩悩がなく、財・色・名声・飲食・睡眠を貪らず、金銭を見ても目がくらまず、手段を講じて金を儲けたり騙し取ったり搾り取ろうとはせず、五陰身の七識心もまた同様でなければならない。色を見ても心を動かさず、男色であれ女色であれ、美色であれ醜色であれ、無関心であり、風が花の叢を過ぎるが如く一片の葉も身に付かず、五陰身もまた同様でなければならない。

名声を貪らず、名誉や評判を求めず、目立ちたがらず、また見せびらかさず、お世辞や恭敬を喜ばず、目立たず地味に、五陰身もまた同様でなければならない。如来蔵は日常生活において、飲食や排泄、行住坐臥の一切の生活用具に対し、奢侈せず貪愛せず、無心に受用する。五陰身はよく足ることを知り、贅沢せず浪費せず、見栄を張らず体裁を繕わずにいなければならない。如来蔵は決して眠らず、また享楽を好まず、五陰身は睡眠の快適さを貪らず、気楽で自由な状態を追い求めず、睡眠の蓋(睡眠の煩悩)を棄て去らなければならない。これらができなければ、如来蔵に依止したとは言えず、たとえ転依を望んでも成功しない。


——生如法師の開示
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いかにして如来蔵に依止すべきか

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如来蔵を証得することと成功裡に転依することの差異

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