衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年10月29日    日曜日     第1 回の開示 合計4041回の開示

智慧に依り識に依らないとはどういうことですか

仏が涅槃に臨まれる際、弟子たちに仏法の修学において必ず四依四不依の法則を厳格に遵守するよう遺訓されました。即ち、法に依り人に依らず、智に依り識に依らず、義に依り語に依らず、了義に依り不了義に依らぬことです。たったこの四条ながら、実践するのは極めて難しく、大多数の者はこれを成し得ません。

特に「智に依り識に依らず」は、普通の凡夫や一般的な菩薩の及ぶところではありません。そもそもこの「智」は、凡夫の識や地前の賢位・見道菩薩の識が転換されて生じたものであり、識を転じて智となした後の智慧です。これは意識の妙観察智と意根の平等性智であり、唯識の種智たる智慧であり、地上の菩薩が具える甚深なる大智慧です。仏は衆生に「汝の意を信ずるべからず」と戒め、阿羅漢果を証して初めて汝の意を信ずべしと説かれました。

涅槃に臨んで再び遺訓された「地上菩薩の唯識種智に依り、妙観察智・平等性智に依るべし」という教えを見れば、世尊の二度にわたる遺訓が首尾一貫し、前後呼応しており、大乗・小乗の修学を全て包含していることが分かります。

なぜ世尊はこれほどまでに強調し、弟子たちに厳格な要求をされたのでしょうか。阿羅漢果を証得した者は煩悩を断じ尽くし、一念の無明を滅し、解脱の智慧が現前します。智慧に覆いがなくなった状態、つまり小乗解脱道の思想観念に等しい境地に至って初めて、誤謬がなくなり、その解脱の見地を依止し得るからです。また識を転じて智を得た地上菩薩も煩悩の覆いを断じ、極めて微細な我執のみを残すだけで、甚深なる妙観察智と平等性智を具え、大乗小乗の智慧が極めて深利で、見地が透徹しているため、一切の仏法の見地を依止し得るのです。それ以外の者については、仏は「汝の意を決して信ずるなかれ」と説かれました。煩悩の覆いがあり智慧が欠け、誤謬が甚だしいからです。

——生如法師の開示
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