多くの人々は生命と大自然の神秘と奥深さに感嘆し、そのため各分野の科学者は生涯をかけて生命と自然の謎を探求し、世のあらゆる法の背後にある運行メカニズムを解き明かそうと努めています。私たちの無明が深く、智慧が限られ、視野が狭く、知識の幅が小さく、観察力が弱いため、背後にある運行メカニズムが一体何であるかを観察できず、多くの自然現象に対する認識が不十分で、その本質的な相状や内在的なメカニズムを理解していないからこそ、生命の活動は非常に神秘的だと感じるのです。もし身体のすべての活動メカニズムと内在的な構造、そして大自然の生住異滅の現象をはっきりと見通すことができれば、これらの物質的な色法は私たちにとって何ら神秘的なものではなくなり、色身の生命活動は本来このようなものであり、宇宙の器世間は法爾として然るべきものであって、何ら不思議なことはないと感じるでしょう。
宇宙の器世間に存在するあらゆる自然活動、例えば風が吹けば草が揺れ、稲妻が走り雷鳴がとどろき、暴風雨が起こり、穏やかなそよ風が吹き、春が去り秋が来て、一年の四季が移り変わるといった現象の運行メカニズムは、自然にそうなっているのでしょうか、それとも因縁が集まってできたのでしょうか。表面的にはすべて因縁によって成り立っており、共業の衆生の業縁も含め、共通の業力によって感応し現れ出たものです。そして善業が比較的大きい衆生が感得する生存環境は、もう一つの美しい状態であり、生老病死の現象もなく、一年の四季の移り変わりもなく、生存環境は常に快適で満ち足りています。なぜなら、これらの環境は衆生の清浄な業によって感得されたものだからです。一方、娑婆世界には生老病死、生住異滅、そして無数の無常変異の現象があります。これらは衆生の善悪混じり合った染業によって感得されたものです。
では、これらの生命と自然現象はどのようにして発生し、背後にはどのような運行メカニズムがあるのでしょうか。もしこれらの現象がすべて因縁によって生じた法であると言うなら、それは表面的な答えに過ぎず、実際にはすべて如来蔵が背後でこれらの一切の法を導いているのです。如来蔵は衆生が造った共業と別業に基づいて業縁を現じ、さらに業縁に依って一切の法を生み出します。如来蔵がこの一切の法を造り出すことができるのは、七大種子を有しているからです。七大種子の異なる組み合わせによって、色とりどりの世界が構成されるのです。そのうち、色法は五大種子によって構成され、心法は識種子と見種子によって構成されます。色法と心法が和合して非色非心法が現れ、こうして世の一切の法が完備され、衆生の世界が建立されるのです。業種と業縁が異なるため、如来蔵が分配する種子もそれに応じて異なり、生じる法も自然と差異が生じます。差異があるからこそ、法の機能は完全となり、世界は多様化することができるのです。
一切の法の差異は業種子によってもたらされます。業種が異なれば、果報も現象も異なります。しかし、これらは表面的な現象の違いに過ぎず、実質は同じであり、すべて如来蔵の功用なのです。如来蔵は自らが本有する種子を操り、それらを集散離合させ、世界の生住異滅という色とりどりの現象を変化させて現出させます。一旦業種と業縁が変化すれば、現象界もそれに伴って変化します。したがって、生命と自然現象の背後にある運行メカニズムとは、すなわち如来蔵が一切の法を生成する法則なのです。如来蔵の種子の機能作用を掌握すれば、これらの現象の秘密が徐々に解き明かされ、自然界が非常に神秘的だとは感じなくなるでしょう。
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