問:ここ3ヶ月ほど、私は下腹部にひとしきりの火のようなものを感じております。行住坐臥すべてにおいてその感覚があり、身体のいくつかの持病はすでに回復いたしました。例えば慢性咽頭炎、慢性下痢、頸椎病などです。またこの火が生じて以来、淫欲が消え去り、ここ2ヶ月ほどは衝動が全くございません。たとえ性的なことを考えようとしても欲望が湧いてきません。今不思議に思っているのは、この火がどのようにして生じたのかということです。この火が現れる前、私は坐禅を学んだことはなく、普段は時々白骨観や不浄観を思うだけで、書物に説かれる標準的な観法通りには行っておりません。お尋ねしたいのは、ただ不浄観と白骨観を通してだけで三昧真火が生じるものなのでしょうか?三昧真火は本当に慢性病を治療し、淫欲や食欲を抑制できるのでしょうか(ここ3ヶ月で30斤近く痩せ、空腹も比較的耐えやすくなりました)?現在の状態は真の三昧真火が生じたのか、それとも単なる仮の火なのでしょうか?
答:三昧真火と気は道家で用いられる概念ではありますが、仏教にも適用できます。同じ身体を用い、ほぼ同じ方法、すなわち禅定を修するため、身体に現れる効果も同様だからです。心が安定すれば、体内の気脈が阻害されず自然に全身を巡り整えます。これが疾病を治癒する作用を起こすのです。同時に気脈が下腹部の丹田に至ると、道家の説く三昧真火が発動します。この火は脂肪を燃焼させ、身体を痩せさせます。
気が下腹部に集まると、妄念の発生を抑制し、心が清浄になります。精・気・神が充足し、精が満ちれば淫欲を思わず、気が満ちれば食欲を思わず、神が満ちれば睡眠を欲しなくなります。言語や念頭も減り、余計な話や雑念を好まなくなり、心は自然に清浄となります。ここからわかるように、淫欲心が強いのは精の不足による面があり、食欲旺盛は気の不足、睡眠過多は神の不足によるものです。これら三つは禅定の修練によって集まり、心意を集中させ気脈を発動させればエネルギーが充足し、身体に多くの変化が現れます。
仏教徒が大乗・小乗を問わず修行し、心が清浄になって禅定を発動させれば、必ずこの段階を経ます。真に修行する者の身心は必ず転変し、その後初めて道を見ることができます。もしこれらの現象を経験していなければ、禅定が現れていない証であり、道を見ることはできません。
不浄観と白骨観を修習すれば禅定を発動させられます。これは慧をもって定を引き、定慧を等しく保つ方法です。坐禅が禅定を生むように、一心不乱に観行するのも同様に禅定を生じさせます。その効果は人によって異なります。不浄観と白骨観を書物通りに修めず、自己流で成果を得たということは、前世で修めた基礎があるため、今世で再修すれば効果が顕著に現れるのです。不浄観と白骨観を修めた結果、身体に現れるのは淫欲の断絶です。この修法は我見を断つのに最も直接的で迅速な方法であり、継続すればさらなる利益を得られるでしょう。
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