衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年09月30日    土曜日     第1 回の開示 合計4025回の開示

如来蔵は何に基づいて色身を執持し変造するのか

如来蔵は常に寂滅の境地にあって動ずることなく、もし何らかの法を現行させる場合、必ず意根の心の動きによる結果であり、必ず意根という俱有縁を伴います。表面的には如来蔵が名色の受精卵を形成し、受精卵を変造し色身組織を修復する際、一見意根の機能作用がないように見えますが、実際には常に意根の作用があり、意根は永遠に業種と相応し、如来蔵はまた業種に随順します。福徳ある業種も無福徳の業種も共に随順する、これは即ち意根に随順するのと同じです。如来蔵が世俗法を生じるほとんどの場合、業種に依拠しており、たとえ意根が絶えず思惟し選択を続けても、如来蔵が意根に配合する際にも、依然として業種に依拠し、福徳因縁に依拠し、その他の因縁条件に依拠しなければなりません。

もし因縁条件が許さず、福徳が不足し、また業種が存在しないか、あるいは業種がまだ成熟していない場合、如来蔵は意根の選択に従って法を生じることができません。例えば多くの人々が立身出世や富を得ようと願い、殊勝な世俗の果報を得ようと望んでも、相応する業種がなく、また因縁も熟していないため、従来通りの平凡な生活を続けるしかありません。また例えばある者が多病の果報を受けるべき場合、如何に努力し、どれほど金銭と精力を費やしても、身体を修復して健康になることはできません。皇帝のような福徳があっても不可能であり、一旦皇帝が福徳を使い果たせば、自殺するか、あるいは殺されるか、簒奪される可能性があります。世の中には生まれながらに大福徳を持つ人も少なくありませんが、幼少期から極度にこの福徳を享受し消耗するため、成長後福徳が尽きると、早逝するか、生活に困窮するか、多災多難となります。

三界の果報は業力に従って牽引され、如来蔵は業力に随って転じます。しかし願力が業力を上回るならば、如来蔵を願望に従わせることができ、凡夫が大願を発すれば次第に業力の束縛を脱し、聖人に脱胎換骨して遂に成仏します。故に懺悔発願は強力な修行法であり、願いがある限り、意根に願いがある限り、遅かれ早かれ実現の日が訪れます。全ての願いは空願ではなく必ず実現します。ただ因縁の具足する時期の問題です。これらの大願は発せられた後、如来蔵に記載されて種子を形成し、種子が成熟する時、衆生は願い通りになります。我々が為すべきことは、第一に清浄な大願善願を発すること、第二に願力の種子が成熟するよう努力することで、将来願果を得るのです。

——生如法師の開示
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