衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年09月22日    金曜日     第2 回の開示 合計4019回の開示

如来蔵は万能法にあらず

問:真の大神通は如来蔵を証得し、自ら如来蔵識の妙用を用いることが必要であり、これは少なくとも阿羅漢以上の境地です。一般的な衆生の小神通も理屈の上では如来蔵の妙用ですが、彼らはまだ如来蔵を証得しておらず、如来蔵の妙用を持つべきではないとすれば、これらの小神通はどこから来るのでしょうか?如来蔵を宝庫に喩え、どれだけ開発すればどれだけ活用でき、大神通は如来蔵を100%開発した状態で、小神通は少しだけ開発したものと言うべきでしょうか?

答:一切衆生は常に如来蔵を用いており、細菌や蟻のような衆生を含めて、用いていないものはありません。違いは、証悟した者は知って用い、証悟していない衆生は知らず知らずのうちに用いていることです。実際には受動的に用いており、用いざるを得ず、如来蔵が能動的に助けているのです。仏菩薩のような智慧ある者は善用し、心が汚れた者は悪用しますが、善用も悪用も全て如来蔵が意根と五蘊に能動的に協調して起こす作用です。意根と五蘊が善であれば如来蔵は善法を造り、悪であれば悪法を縁に従って造ります。鍵は意根と業種にあります。故に修行とは意根を修め、善種子を蓄えれば、如来蔵が善縁に従って善法を造るのです。我々はただ修行に専念すれば良く、如来蔵の用い方を気にする必要はなく、意根を善用すれば如来蔵を善用したことになります。

一般的に言う神通は五種の神通:天眼通・天耳通・神足通・他心通・宿命通であり、全て四禅八定から生じます。憑依などの類は神通に属しません。如来蔵の機能作用を方便的に神通妙用と説き、衆生の意根の心量と智慧が開け、禅定が現れれば、神通や大神通が現れるのです。これは如来蔵が意根に随って顕現したものです。故に修行は主に意根を修めることで、まず意識を修めることから始まります。

一般的な神通は全て禅定を修めた結果であり、如来蔵を証得しているか否かに拘わらず、神通は世俗法であって定学の成就です。世俗法上の事柄に如来蔵を結びつける必要はなく、例えば技術を習得したいなら技術に専念すれば良く、如来蔵を論じても無益です。料理を上手に作りたいなら如来蔵を論じても役に立たず、却って支障を来たします。小乗の空や外道の空でさえ、如来蔵を論じても無益で、何事も如来蔵と結びつける必要はありません。しかし地上の菩薩の大神通は如来蔵の証悟と関係があり、それは禅定と大智慧の結合によるもので、どちらか一つ欠けても大神通は現れません。

——生如法師の開示
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