人間の弱点や欠点、習性、煩悩、そして様々な執着は、全て自らの意思で改められるものではありません。環境が許さず、やむを得ず改める場合も多くあります。つまり壁にぶつかり、前方に厚い壁が現れて「此路不通、迂回せよ」と示され、やむなく方向を転じたり引き返したりする中で、一つの弱点が克服され、一つの欠点が消え、一つの煩悩が消滅し、一つの執着が消え去るのです。
人生における様々な不如意や逆境は、まるで壁のように、我々が従来の認識や習性に従って進むことを阻みます。そこで新たな道を選ぶと、結果的にはその道の方が良かったことに気付きます。故に逆境や挫折は敵ではなく、壁もまた敵ではありません。これらは人生の導師であり、別の光明ある道へと導いてくれる存在なのです。煩悩の深い人、自らを律せない人こそ、多く壁にぶつかるべきです。そうすることで覚醒し方向転換する機会を得られます。悪業をなす者には、悪行を為した直ちに悪報が訪れるべきです。そうすれば悪業の不可為を悟り、次第に悪心を収めるでしょう。逆境に際して深く思索し、方向転換の道理を悟り、思考と認識を転換すれば、運気が変わる機会は早く訪れます。
もし人が生涯順調に過ごせば、永遠に元のままの姿を保ち、煩悩に満ち、無明愚痴に陥り、無知無畏のまま生死(しょうじ)を流転して終わりがありません。多く壁にぶつかり、旧来の道が通じなくなって初めて変通を知り、古い執着を改め、智慧が生起するのです。故に逆境もまた良く、壁もまた良しとすべきです。ある時は善人が悪人となり、好事が悪事となり、またある時は悪人が善人となり、悪事が好事となる。これは弁証法的に見る必要があり、結果、特に未来における究竟の結果を見極めねばなりません。
深い執着によって世間の一切法から離れられない時、もし世間の一切法が自ら進んで離れ去り、修行のための基本的な生活資源だけが残されるなら、これはまさに願っても得難きことです。しかし臨命終時、確かに一切法は自らから離れ去り消滅しますが、その機会に我執や執着を断ち切った人の意根を見たこともなければ、諸法が無常で得難いと悟った覚えもありません。これは何故でしょうか。このような状況下で第八識を説かれても、果たして悟りを開けるでしょうか。
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