衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2023年08月24日    木曜日     第1 回の開示 合計3998回の開示

意根の了別範囲

意根の了別する範囲は極めて広く、一切の法を了別することができる。それらの法が変動するか否かにかかわらず、長期間変化しない法であっても意根は依然として了別可能であり、微細な不変の法も了別し得る。もし意根が了別しない法があれば、六識を生起させて再び微細具体的に了別することはできない。なぜ意根が変動する重大な法塵のみを了別すると言い張る必要があろうか。不変の法塵を含む六塵も全て了別可能であり、そうでなければ覚照作用を失い、六識は生起し得ない。蚊の羽音のような微細な音声も意根は了別でき、そうでなければ耳識と意識は蚊の音を聴取できない。

意根は勝義根内の法を了別するだけでなく、勝義根外の法も了別する。六塵境界を全て了別できなければ、六識を生起させることはできない。色塵を了別した後、具体的にどの色彩か、何の物体かを知ろうとする時、眼識と意識が生起する。声塵を了別した後、どのような音声かを知ろうとする時、耳識と意識が生起して具体的に了別する。その他の色・声・香・味・触・法についても同様である。

粗重な五塵も了別可能である。例えば目の前に色彩豊かな花々がある時、意根が紫色の花に興味を抱けば、紫色の花に対して眼識と意識を生起させて集中了別する。意根の興味が深まるほど、了別時間は長くなり、集中度も増す。眼識と意識が一、二時間も紫羅蘭を注視し続けるのは、意根が紫羅蘭に強い関心を抱き、継続的に紫羅蘭に触れ、了別し続けている証左である。そうでなければ眼識と意識は消失し、紫羅蘭を鑑賞し続けることはない。他の諸塵についても同様の理屈が適用される。

大量の色彩が現前する中、意根が紫色の花を選択して六識に持続的注視をさせ、桃色の花には二度と目を向けないという事実は、意根が各種色彩の差異を認知していることを示す。従って意根は全体の六塵・五塵に触れ、六塵に対して一定の勝解力を有する。六識に集中鑑賞を継続させるという事実は、意根が常に触れ続けていることを意味し、故に意根も定を具えている。もし意根に定がなく他の塵境へ移行すれば、六識は直ちに元の塵境から消失する。

大量の花々の中から特に好む紫羅蘭を探し求める行為は、意根に欲望が存在し、欲心所を有することを示す。もし意根が紫羅蘭を見ることを欲しなければ、六識を生起させて紫羅蘭を探求することはない。意根に不到の部分があれば、六識は決して現れない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

有為法とは何か

次の記事 次の記事

百法明門における無為法

ページのトップへ戻る