衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年04月06日    木曜日     第1 回の開示 合計3912回の開示

誰が悟りを求めるのか、どのように悟るのか

多くの人々は如何に悟りを証得するか、また誰が悟りを必要とするかを理解していません。では何故我々が仏法を学ぶ上で悟りを必要とするのでしょうか。それは我々が無始劫以来ずっと迷妄に陥り、虚妄を真実と見做し、妄りに生死輪廻の苦しみを受け、解脱と自在を得られないからです。故に無明を打破し、心の中の虚妄の法を破り、真実の理を悟る必要があります。ただし、この「我々」が誰を指すかを見極めなければなりません。それは意識と意根という二つの心を指します。この二つの心は極めて多くの無明を抱え、法界の実相真理を知らないため、修行を重ねて真理を悟る必要があるのです。

真理を悟った後、初めて五蘊世間の一切の法が虚妄であることを証得し、一切の無明を断じ尽くし、一切の生死の苦しみを滅除し、大解脱を得ることができます。法界実相如来蔵を証得してこそ、三大阿僧祇劫の修行を通じて無明を断じ尽くし、涅槃寂静に至り、一切の生死の苦しみから解脱することができるのです。故に悟りを開く必要があるのは六・七識の心なのです。

如何にして如来蔵を証得するのでしょうか。如来蔵の本体は根本的に見ることができません。それは空であり、何らの相貌も持たないからです。当然その本体を見ることはできず、ただその功能作用を通じて証得するしかありません。五陰身の運作において現量観察によって如来蔵の運作行相を観る、これが如来蔵の証悟です。この時初めて如来蔵が如何に五陰身において運作しているかを明らかに理解します。如来蔵の本体は空寂ですが、その作用は決して空寂ではなく、功能作用には行相があり、観照することが可能です。これを観照した時が即ち証悟なのです。

かつて私は風を比喩に用いました。空寂の心は風の如く見えませんが、それでも風の存在を知ることができます。風もまた空です。なぜ風が空であるのに、我々は風を見ることも嗅ぐことも触れることもできないのに、風が来たと分かるのでしょうか。風が来た時には必ず様々な作用が現れます。これらの作用は全て物体と虚空に作用し、風が物体に作用し虚空に作用する時、相互に触れ合い衝突し合い、様々な現象が現れます。これらの現象を見ることで、我々は風を証得するのです。微風であれ大風であれ、小風であれ暴風であれ、竜巻であれ、物体に現れる現象からどのような風かを判定できます。

如来蔵の本体は風と同様に形相がありませんが、五陰身における如来蔵の作用を通じて初めて発見できるのです。では風を見出すのは誰でしょうか。六・七識の心です。風が発生したことを知ると、六・七識は共に風害を避け防ぐ方法を考えます。如来蔵を証得するのも六・七識が共同で証得するもので、如来蔵が起こす作用を通じ、五陰身に現れる行相によって証得されます。如来蔵には如何なる作用があるのでしょうか。一切の万法はこれによって生成され維持され、一切の万法にはそれぞれ特殊な作用があります。如来蔵が究竟的に如何に運作するかは、悟った後も参究を続け、参究し尽くせば六祖の説かれた五つの「何期自性」が明らかになるのです。

——生如法師の開示
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