衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2023年03月28日    火曜日     第2開示 合計3905開示

見性とは何か

見性とは如来蔵 (tathāgatagarbha) が法を見る機能作用であり、如来蔵の見大の種子によって形成されるものです。如来蔵が法を見た後に、七識ははじめて見ることができ、それぞれに相応する法を見ることができるのです。見性は仏性とも呼ばれ、如来蔵性とも呼ばれ、如来蔵の妙用です。仏性がなければ、一切の法は起用することができず、生起することもできません。だからこそ仏は、一切の法はすべて如来蔵性であり、すべて如来蔵の機能作用であると説かれたのです。

仏性・見性は覚性とも呼ばれ、如来蔵が諸法を覚知する性です。如来蔵が諸法を覚知・覚了した後に、七識ははじめて覚を有し知を有し、諸法を覚了し、諸法を知見し、諸法を覚受することができるのです。だからこそ仏は、如来蔵の覚性は妙真如性であり、一切の法はすべて妙真如性であると説かれたのです。妙真如性がなければ、一切の法は現起することも、出生することもできません。この仏性・妙真如性はこのように重要であり、如来蔵の五遍行心所法と和合して、完璧に一切の法を現じているのです。五蘊世間がかくも繽紛として絢爛で、多彩で豊かなのはこのためです。

如来蔵は電球のようであり、仏性は灯光のようです。電球が光を放ち、諸法を照見して、はじめて諸法を運行することができ、運行の際には心所法が伴って起用します。仏性が妙用を現起すれば、諸法が顕現し、七識が法を見て、八つの識が和合して運行するのです。

見性・仏性は、如来蔵の本体に依拠してはじめて起用できるものであり、如来蔵の本体と等しいわけではありません。しかし、永遠に無条件で起用できるものでもなく、ここには一種の生滅相 (utpāda-nirodha-lakṣaṇa) が隠れています。ただし、仏性の起滅と五蘊世間の法の起滅とを混同して区別なくしてはなりません。この二者には本質的な違いがあるのです。

——生如法師の開示
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